はじめに
いつも三日坊主、「コツコツ」が一番苦手で自分の短所と向き合うのが嫌で嫌でしかたなくて付き合っていた人に短所を指摘されたり直した方がいいよと言われる度に泣き喚いていたわたしですが、いよいよ自分自身と向き合っていかないと生きていくのがむずかしくなってきました。
先日友人にぽろりとそのことを話したら「すすめ、言いづらいけど見栄っ張りだもんね〜」と言われてウッ、、友人にもわたしが見栄っ張りなことバレバレなのか、、隠し切れてなかったんだ、、隠し切れてると思ってた、、(この時点でとても見栄っ張りが出ている)と衝撃を受けたので、腹を括って自分自身と向き合ってみることにする。
今までも何度か優しい人たちに声をかけてもらって「自分自身と向き合うこと」「自分のことを深く掘り下げること」の重要さというかそれこそがわたしのいろんなものを改善したり救ってくれる手助けになることを教えてもらってきていたけど、当時のわたしはやっぱり自分自身と向き合うことが怖かった。自分が一番自分を大きくて良いものと思い込もうとしているから、蓋を開けたら自分が思い込んでいるよりも自分がちっぽけでプライドだけが肥大化した存在であることに気が付いてしまいたくなかった。知りたくなかった。なんで知らなくちゃいけないの?ぐらいに思っていた。大きく良いものに見えている今のが絶対にしあわせなのになんでちっぽけな自分と向かい合わなくちゃいけないの?ぐらいに。
でもここにきて、そんなちっぽけな自分と向き合わなくてはならなくなってきてしまった。自分のことを大きくて良いものと思い込むことができなくなってきた。ちっぽけな自分を思い出したり感じたりする度に跡形もなく消えてしまいたくなる時間が増えてきた。
もっとみんなの声に耳を傾けて、はやく自分と向き合えばよかったって今は思うけど、人の言葉に素直に耳を傾けて忠告を聞き入れることができていたらわたしはもっと自分の思う「大きくて良いもの」に近かったと思う。そういうことが難しくて言い訳を探して逃げ回ってきたツケがここにきてどかんと弾けたからこそ、今向かい合わなくちゃと冷や汗をかいているわたしがいるわけです。回り回って全ては自分に還ってくるって本当に真理だなあと感心せざるをえませんが、とにかくきっとわたしにとっては「今」なんだと思う。
見栄っ張りでプライドが馬鹿高いからほんとはこういう弱いところとか欠点を書き連ねるのを見られるのが本当に嫌なんだけど、それも乗り越えて「なんとも思わない」状態になったらすごい楽なんじゃないの?と思うのでブログに書き溜めることにしました。
そもそも中学の時点で、吹奏楽の個人練習を同じパートの子に見られるのが嫌でわざわざひとりで遠くでピロピロ練習してたことを思い出すと、すでに誰かに努力してるとことか下手なとことか失敗してるところを見られたくない!!!!という強い気持ちが芽生えていたのを感じる。もう10年以上前のことなのに、、
毎日書こうと思うとすぐに挫折するのでとにかくスクロールできる程度に10回くらいは記事を書いてみよう、というところから始めようと思う。10回書くってきっと思っているよりも大変だろうな。5回くらいにしておく?とすでに弱気。