生きてるだけで愛されたいよ
「生きてるだけで、愛。」という映画を観た。
今日は仕事がおやすみで、天気は良いけど風があって、花粉が怖いし、家から出ないでヨーグルトパンケーキでも焼いてミルクティー啜りながらなんか映画でも観ようかなと思ったから。この前観た「花束みたいな恋をした」という映画にまだまだ心が引き摺られていて、菅田将暉の美しい横顔をもっと眺めたい気持ちだったから菅田将暉が出演している映画にしようって思った。タイトルロゴが好みだったからこの映画にしたんだけど、ふいにまた精神をボコボコに殴られてどっと疲れた。
話の流れとしては、躁鬱で過眠症でニートなヤスコが、下品なネタばかり載せている週刊誌でライターをしているツナキの家に転がり込む形で付き合っているところから始まる。なんとかヤスコは社会に馴染もうと試みるけれど、膨大で乱暴な自らの感情に心と体がついていけなくて自分も周りも振り回して傷付きながらももがくヤスコの姿をものすごく丁寧に描いている作品だった。原作があるみたいだけど、ヤスコという名前の漢字を「寧子」と書くのがとても良いなと思った。映画だと字面で見ることないけど。
この映画を観てどっと疲れたのは、ヒステリックを起こす姿や、目覚まし時計をかけても起きれなかったヤスコが自分へ向けた怒りだったりというような自分で自分の大きすぎる感情をどうにもできないで苦しんでいる姿が自分と重なって見えてしまったから心が抉られるようにつらかった。一度その膨大な量の感情に飲み込まれてしまうとわたしもヤスコのようになかなか戻ってくることができない。泣き喚いて、時には物に当たって、自分の生を恨んで、早く死にたいと終わりのことだけを考えて、誰かわたしのことを終わらせてくれ、止めてくれとさらに泣いたことなんか数えきれない程ある。目覚まし時計を3つもかけても起きれなかったヤスコが、自分で自分の頭に目覚まし時計を打ちつけてやりきれない感情をなんとか発散しようとするシーンがある。ああやって自分で自分を傷付けて痛みを与えることでなんとかやり過ごそうとするやつ、めちゃくちゃ身に覚えあるな〜〜〜と思って客観的になって自分で自分に引いた。あれは大学生の頃で、元彼ともうまくいってなかったりしてて、情緒が不安定だったからこそやってしまったのかもしれないなとは思うけど、もし次新しい誰かと付き合ってその人とうまくいかなくて情緒が不安定になった時に、もう大人だからやらないかと聞かれたら全く自信ないな。きっとやってしまうだろうな。リストカットみたいな跡に残ることはしたことはないけど、自分で自分を痛め付けるのってその瞬間にとってはめちゃくちゃ救いだってこと、どうしたってもうわたしは忘れることができないから。
菅田くんが観たくて観始めた映画だったのに菅田くんのこと途中から頭から抜けてたし映画自体自分のことのようでつらくて直視できないシーンが多かった。最後のシーンでヤスコが「楽されるといらつくんだよ。私と同じくらいエネルギー使って!振り回されて、あたしと同じだけ疲れて!」というようなことを言うんだけど、これ、当時のわたしが元彼に言いたかったけど言葉にできなかったことまんまじゃん!!ってなってさらにギュッとなった。まさに言いたかったこと、してほしかったことまんまなんだけど、こうやって台詞として聞くとなんて我が儘なんだって笑える。でもちゃんと面倒くさがらずに話し合わせて欲しかったしこれからのこともこれまでのことにも目を逸らさないで、わたしと同じだけの力で2人のこれからのこと考えてほしかったな。全部過ぎたことなんだけど。
「私は私とは別れられない。一生。いいなぁ、津奈木、私と別れられて。いいなぁ」
この台詞も、今までのわたしがずっと感じていることだったな。わたしはわたしとは別れられない。付き合っていかなきゃいけない。苦しいし、少しでも早く自分自身と別れられるなら別れちゃいたいけど、このまま毎日を送っていかなきゃならない。自ら命を絶つ勇気もないし。だからいつまでもそんなこと言ってないで少しずつすすまなきゃね。