エッセイでも書こうかな

「エッセイでも書いてみたら?」

5年ぶりに会った友人の言葉は、家庭という安心安全な場所で、ただ流れゆく日々に身をまかて過ごしていた私にとってはまさに青天の霹靂、道を歩いていたら急にバットで頭をかち割られた気分だった。

確かに『文章を書く』ことは、33年という短くも長い私の人生を思い返してみても、唯一人に褒められたことのある技能だった。

大学推薦入試の小論文指導では「この高校で10年に1人の逸材だ!」と、赴任して7年目の現国教諭から称賛をうけたし、結婚式で読んだ両親への手紙では「私が今まで聞いた花嫁の手紙の中で一番良かった!」と、いとこの結婚式にしか出席したのことのない先輩から堂々のランキング1位をいただいた。

そんなこんなで私にとって『文章を書く』といえば、アイデンティティというにはお粗末だが、ないものとして切り捨ててしまえないくらいには自信があり、かといって3人の子を持つ専業主婦である現状では発揮する機会も機会をつくる行動力もなく、ただただ持て余しているものだった。

だから友人にそう言われた時は、生きていくのに必要がないと捨て置いたものに再び価値をつけてもらえた気がして、恥ずかしくも嬉しい気持ちになった。

だが、いざ実際にエッセイを書くとなるともちろん簡単にはいかない。私は折り紙付きのネガティブ人間なので、ついついマイナスなことばかり考えてしまう。

不器用な私はただでさえ毎日の家事と子育てでいっぱいいっぱいだ。それなのに文章を書く余裕があるのだろうか。力や時間の配分を間違えてバランスを崩し、家庭や自分を壊すことにならないだろうか。

それに、創作の道は辛く険しい。他人の才能に嫉妬したり思うように書けずに苦しんだり、世間に晒せば非難を浴びることもあるだろう。そんなプレッシャーに私は耐えられるのだろうか。

私は今の生活に満足している。家族はみんな健康体、仲もほどほどによく、不自由なく暮らしていけるお金もある。目下の悩みといえばどうしたら推しのYouTuberに認知してもらえるかくらいなものである。

それなのにわざわざエッセイなどを書いて余計なストレスや悩み事を増やす必要はあるのだろうか。今のままごく普通の専業主婦でいることが私にとって一番の幸せではないのだろうか。

とまぁネガティブ人間の名に恥じぬよう、できない言い訳を思いつく限り並べてみたものの、普通に考えてそんなに思い詰めることもない。

別に誰かに強制されているわけでも、締め切りや報酬が発生するわけでもあるまいし、書きたければ書き、書きたくなければ書かなくていい。

自信作ができれば他人に見せればいいし、駄文ができれば墓まで持っていけばいいのである。

正直、『文章を書く』という技能を自己肯定感のかけらとして、頭の片隅にしまったままにおきたい気持ちもある。

しかし、頭がかち割れてしまった今となっては、片隅にしまったところでどうしても存在がチラついてしまう。どうせ無視できないなら、試しに書いてみてもいいかもしれない。

万に一つの奇跡が起こり、推しのYouTubeの目に止まって認知してもらえるかもしれないし。

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