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【チャコールプリズム6話】モフシング

第五話に登場した純喫茶モフリーヌの錦織マユコには夫がいる。

ウィズミー錦織だ。

ウィズミー錦織は、元ソフトモフ級プロモフサーで、これと言って目立った成績を残したわけではないが、その明るいキャラクターで人気を博していた。現在はフィットネス系ジム「ウィズミーis with you!」を経営している。

タヌキ界におけるボクシングはパンチを使わず体毛を使う。通称モフシング。全身の体毛を使用して、いかに対戦相手をモフモフできたかが勝負となる。
1ラウンド3分のみ、判定で勝敗を決める。KOの概念はない。
階級はソフトモフ級とハードモフ級の毛質2回級、ライトモフ級とヘビーモフ級の体重2回級の、計4階級がある。

その歴史を遡ると、冬季の寒さを凌ぐためにタヌキたちが身を寄せ合って温まる中で、暇だという理由でモジモジ遊び出したことが由来とされている。

1400年代から各地で身を寄せ合う遊びが行われていた資料が残っており、それが競技化したのが1700年代に入ってからと推測されている。当時は貴族階級のタヌキが農民層のタヌキを召集し、彼らを戦わせ、どちらがより強かったかを賭けて遊んでいたという。

当時のこの行いは「当身相撲」と呼ばれ、当身で土俵の外に対戦相手を追い出すか、土俵内で倒すかすれば勝利とされていた。
この当時、当身相撲力士として名を馳せたのが伝説の当身相撲力士「玉座金狼(たますわりかねろう)」である。最終決戦でライバルである「伸革被楼丸(のびかわかぶろうまる)」を押さえ、251連勝を飾り、生涯無敗として現役の舞台を降りたとされる。
しかし一方、賭け試合に敗北した伸革被楼丸はその場で処刑されるという悲劇の生涯を終えた。

1855年の貴族階級崩壊以降、当身相撲を利用した貴族間の賭けは無くなった。しかし、長い歴史の中で培われたこの競技は、賭けのない遊びとして各地農村に残った。

1900年代に入ると、当身相撲は身体を壊すとされ、身体を擦り寄せて押し倒した方が勝ちとされるようになる。

1930年以降は、互いの体をすり寄せて、どちらの身体の動きがマッサージ的に心地良さそうかという、観客の想像力に勝敗をゆだねる形式へと変化していった。

そしてこの形式に基づいて、モフシングは1956年、山村真治氏によって階級、ルールが提案され、タヌキ界に定着。1971年にタヌキ界モフシング協会が発足され、協会によって森村案に少しの訂正が入った後、正式に「第一回全タヌモフシングカップ」が階級別で開催された。

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