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相続税は二重課税ではないと思う

 海外ではそもそも相続税がない。高橋洋一氏の書物にそう書いてあったる。「おもなところでは、スイス、カナダ、イタリア、オーストラリア、スウェーデン、マレーシア、タイ、シンガポール、中国といった国々である。」(『政治家も官僚も国民に伝えようとしない増税の真実』SB新書)。
 へぇーと驚いたが、高橋氏の列記の中にアメリカがないことに気がついた。こういうときに参照するのはウィキペディア。
アメリカの相続税の基本をきちんと解説 (chester-souzoku.com)
を見たらこう書いてあった。
「日本の相続税に相当するアメリカの税金は、正しくは、遺産税(Estate Tax)と言います。日本の相続税と同じように、亡くなった人の財産に対して課税される税金となっています。アメリカの相続税は2010年の1年間だけ政治的な理由で廃止されていましたが、現在は制度として存在します。」
 博学の高橋洋一さんのことだから、「相続税があるのは日本とアメリカなど少数国である」と言いたかったのかもしれない。
 でも大部分の日本人にとって「外国」とはまずアメリカのことである。「アメリカにあって中国にはない」あるいはその逆の制度の場合、アメリカと同じ側にあることが精神衛生的に落ち着くのではないか。
 これが相続税の存在をボクが是認する理由の一つ。もっともこれは理由としては順序が低い。
 高橋氏が「相続税は所得税との二重課税」とすることに全面的には同意できないことが、相続税廃止論に与しない主要理由。
 彼の主張は、故人の遺産はその者の生前に所得税が課された残りであり、既に国家への納税義務を果たした財産である。それに追い打ちしての相続税は一物への二重課税であるから適正を欠くというものである。最初に聞いたときは論理的思考ができる人は「そのとおり」と思ってしまう。彼は続ける。現在のわが国の所得税は補足漏れが多いから、その修正として死亡時に追徴することで是正するための相続税がある。しかしこれはマイナカード普及で、国民のカネの動きを「その生存段階で(政府が)しっかりと補足し、課税すること可能になれば、相続税を課税する根拠がなくなる。」
「生存中の所得漏れの追加徴収が相続税の役割」と定義すれば、たしかに相続税は将来廃止すべき税という整理になる。
 だが国民感情はこれとは違うと思われる。現代経済社会では能力と運で想像を絶する資産形成が可能である。日本でもユニクロとかソフトバンクの創業者は兆円規模の資産を有するとされる。見習い、賞賛すべきことであり、自分で稼ぎ出した資産をどのように使おうが自由である。それにあやかるべく各人が努力することで一国の経済が発展する。
 だがその資産使用の権利を他人に享受させるとなると事情が異なる。有償ならば経済活動であるが、無償であれば他人の不老所得を容認することにほかならない。不労所得はわが憲法においても明確に戒めている(27条)。そこで贈与税の高率課税で調整されることになっている。
相続者は基本的に無償で譲り受けるのであるから、特別扱いせず、すべて贈与税の対象にすればよいのである。いまどき親の資産形成に子どもが貢献する例はほとんどない。仮にそういう事例であると主張するのであれば、財産形成時点で財産名義を分離するなり、共有にしておけばよいことだ。そうしておけば子どもの貢献分は、相続手続きなしに保障される。
 国民の経済的平等とは世に出るスタート時点の条件を等しくすることであろう。世間が支持する「機会の平等」である。この条件を確保する点においてh、親の資産が子どもに無償で渡るのは望ましくない。
ただしわが子を特別に思う親心も尊重したい。そこで親から子への財産渡しでの贈与税は、「1億円まで無条件控除、1億円超部分は控除なしで税率95%」程度でいいのではないか。分岐点の1億円は宝くじ賞金などを参考にしたものである。控除額は受遺者単位であるから、子どもや係累(甥や姪)が多い者が優遇されるから、少子化対策にも少なからずいい影響があるだろう。
 それでも厳しいと思う資産家は公益活動に遺贈すればよい。例えば課税分全額を使ってのふるさと納税などが考えられる。返礼品はその自治体からの金箔の額縁入りの感謝状。これをその人の子ども全員に交付することで、子々孫々「わが先祖は偉大であった」と、この国が存続する限り遺族の誇りになる。ボクに高額不労所得が入ったら(例えば10億円相当の宝石箱を拾い、落とし主が現われなかった)、どの自治体あるいは公益事業団体に寄付するのがよいか、家族会議を開くだろう。
 海外ではそもそも相続税がない。高橋洋一氏の書物にそう書いてあったる。「おもなところでは、スイス、カナダ、イタリア、オーストラリア、スウェーデン、マレーシア、タイ、シンガポール、中国といった国々である。」(『政治家も官僚も国民に伝えようとしない増税の真実』SB新書)。
 へぇーと驚いたが、高橋氏の列記の中にアメリカがないことに気がついた。こういうときに参照するのはウィキペディア。
アメリカの相続税の基本をきちんと解説 (chester-souzoku.com)
を見たらこう書いてあった。
「日本の相続税に相当するアメリカの税金は、正しくは、遺産税(Estate Tax)と言います。日本の相続税と同じように、亡くなった人の財産に対して課税される税金となっています。アメリカの相続税は2010年の1年間だけ政治的な理由で廃止されていましたが、現在は制度として存在します。」
 博学の高橋洋一さんのことだから、「相続税があるのは日本とアメリカなど少数国である」と言いたかったのかもしれない。
 でも大部分の日本人にとって「外国」とはまずアメリカのことである。「アメリカにあって中国にはない」あるいはその逆の制度の場合、アメリカと同じ側にあることが精神衛生的に落ち着くのではないか。
 これが相続税の存在をボクが是認する理由の一つ。もっともこれは理由としては順序が低い。
 高橋氏が「相続税は所得税との二重課税」とすることに全面的には同意できないことが、相続税廃止論に与しない主要理由。
 彼の主張は、故人の遺産はその者の生前に所得税が課された残りであり、既に国家への納税義務を果たした財産である。それに追い打ちしての相続税は一物への二重課税であるから適正を欠くというものである。最初に聞いたときは論理的思考ができる人は「そのとおり」と思ってしまう。彼は続ける。現在のわが国の所得税は補足漏れが多いから、その修正として死亡時に追徴することで是正するための相続税がある。しかしこれはマイナカード普及で、国民のカネの動きを「その生存段階で(政府が)しっかりと補足し、課税すること可能になれば、相続税を課税する根拠がなくなる。」
「生存中の所得漏れの追加徴収が相続税の役割」と定義すれば、たしかに相続税は将来廃止すべき税という整理になる。
 だが国民感情はこれとは違うと思われる。現代経済社会では能力と運で想像を絶する資産形成が可能である。日本でもユニクロとかソフトバンクの創業者は兆円規模の資産を有するとされる。見習い、賞賛すべきことであり、自分で稼ぎ出した資産をどのように使おうが自由である。それにあやかるべく各人が努力することで一国の経済が発展する。
 だがその資産使用の権利を他人に享受させるとなると事情が異なる。有償ならば経済活動であるが、無償であれば他人の不老所得を容認することにほかならない。不労所得はわが憲法においても明確に戒めている(27条)。そこで贈与税の高率課税で調整されることになっている。
相続者は基本的に無償で譲り受けるのであるから、特別扱いせず、すべて贈与税の対象にすればよいのである。いまどき親の資産形成に子どもが貢献する例はほとんどない。仮にそういう事例であると主張するのであれば、財産形成時点で財産名義を分離するなり、共有にしておけばよいことだ。そうしておけば子どもの貢献分は、相続手続きなしに保障される。
 国民の経済的平等とは世に出るスタート時点の条件を等しくすることであろう。世間が支持する「機会の平等」である。この条件を確保する点においてh、親の資産が子どもに無償で渡るのは望ましくない。
ただしわが子を特別に思う親心も尊重したい。そこで親から子への財産渡しでの贈与税は、「1億円まで無条件控除、1億円超部分は控除なしで税率95%」程度でいいのではないか。分岐点の1億円は宝くじ賞金などを参考にしたものである。控除額は受遺者単位であるから、子どもや係累(甥や姪)が多い者が優遇されるから、少子化対策にも少なからずいい影響があるだろう。
 それでも厳しいと思う資産家は公益活動に遺贈すればよい。例えば課税分全額を使ってのふるさと納税などが考えられる。返礼品はその自治体からの金箔の額縁入りの感謝状。これをその人の子ども全員に交付することで、子々孫々「わが先祖は偉大であった」と、この国が存続する限り遺族の誇りになる。ボクに高額不労所得が入ったら(例えば10億円相当の宝石箱を拾い、落とし主が現われなかった)、どの自治体あるいは公益事業団体に寄付するのがよいか、家族会議を開くだろう。

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