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441常識感に沿った司法を

三権分立というが、その中で最も親近感がわかないのが司法。お笑い3人組ダチョウ倶楽部でイジラレ役の某が、仲間二人の仕打ちに怒って「訴えてやる!」と叫ぶコマーシャルがあったが、国民の中で実際に訴えた者がどの程度いるだろうか。
理不尽に憤って訴訟を考えた経験を持つ人は少なくないはずだが、周囲から「調和を乱すようことはするな」と脅迫まがいの圧力を受け、訴訟の提起を泣く泣く断念し、そのことを後悔して却って心身に変調をきたす者を見聞きする。
最近読んだ本で勇気を奮い起こして訴訟に及んだ事例を知った。その概要を紹介しよう。いずれも労働基準法の労働時間規制を会社側が歯牙にもかけていなかったことから生じたものであり、同調圧力の害悪が認定されている。

一つは「大庄日本海庄や過労死事件」。2007年4月に正社員入社した吹上元康さん(24歳)が、わずか4か月後に心機能不全で急死し、2008年12月過労死として労災認定された。その後ただちに、両親はこれでは補填されない部分について、会社だけでなく、経営者や経営幹部ら個人の責任も追及する訴訟を提起した。
京都地裁では2010年5月、個人被告を含めて7860万円の賠償を認める判決を出し、それが大阪高裁、最高裁で支持され、2013年9月に確定している。規模が大きい会社では、経営者個人は責任意識を感じることもなく、何食わぬ顔でいるのが普通とされるが、個人経営の事業体と同様に、経営者の姿勢を追及しなければ、この種の問題は繰り返される。経営者の倫理観、人権感覚が問題の根底にあることを考えれば、経営者責任追及を一般化させなければならない。
二つは、「ワタミ過労自殺事件」。2008年4月に正社員入社した森美菜さん(26歳)が、2か月後に飛び降り自殺した。過労自殺について労働基準監督署レベルでは否定されたが、行政不服審査を担当する労災保険審査官は2012年2月労災を認定した。両親はその後も会社に説明を求めていたが、進展がないため2013年12月、会社だけでなく、経営者や経営幹部ら個人の責任も追及する訴訟を提起した。
この訴訟での請求額は1億5300万円と高額だった。アメリカの環境汚染事案などでよく見られる「懲罰的慰謝料」が含まれていたのが特色だ。わが国の裁判所は損害額を超える賠償を認めない。このため振り込め詐欺などで典型だが、加害者は不法に得た利益を隠匿でき、賠償請求に痛痒(つうよう)を感じない。
本件ではブラック企業との世評定着と経営者としての名声落剝(らくはく)を怖れた被告が,地裁段階の2015年12月、請求を丸呑みする1億3千万円での和解を選択して終了した。このため懲罰的慰謝料への裁判所判断は出ていない。
以上二つの事件からの教訓である。一つは個人責任の追及を容易にすること。法人であることを理由に、経営者の非道徳が放置されるのはおかしい。この常識が一般化される必要がある。法人経営者個人の責任追及は、行政法令における罰則ではたいがい盛り込まれている。民事訴訟でも同様の対応が必要なのだ。コンプライアンスのあり方なのだ。
二つは懲罰的賠償請求を容認すること。民法709条が「加害行為者はそれによって生じた損害を賠償する責任を負う」となっていて、実害を超える賠償を認めていないと解釈されているためだ。過失損害ではそのとおりだろうが、常習・確信・非道徳な事例であれば、実損補填だけでは加害者に反省を促すにも足りない。
事例に挙げた2件では、前途有望な青年男女が、会社の業績に貢献しようと心身を擦り減らした挙句に命を落としている。偶発事故ではないのだ。命を失わないまでも、似たような労働環境で精神的な障害を負い、その後の人生が暗転させられる者も同じだ。常識が通る司法が求められている。

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