450衆院選とコロナ
衆院選で各党が掲げる施策で目立つのが、コロナを理由としたバラマキ給付金。10万円、12万円、20万円…。おカネをもらって嫌だという人は少ない。筋が通らないカネを政府が配るのは許せないし、それを無批判に受け取るのはさもしい。そう宣言して受け取らなかったと俵孝太郎さんが雑誌『時評』のコラム「一戦後人の発想」で述べておられた。さすがである。
財政破綻すれば、半額は公費投入で賄われている基礎年金は大幅減額になるだろう。その際の足しにと10万円を受け取って全額預金したボクは大いに反省したけれども、次回給付の際には敢然と受取拒否するかと自問して、やはり受け取るだろうとの結論になった。せめてもの言い訳に、コロナ給付金支給を公約に掲げている候補者には票を入れない。そうすると当選させたい候補者がいなくなる可能性がある。ボクと同じ考えの人が存外多いと思う。その結果、低投票率になるのだとしたら、心ある政治家にはよくよく考えてもらいたい。
コロナが目下の最重要国策の一つであることは否定しない。ボクもそう考えている。ただしそれはバラマキが必要だからということではない。この種の感染症が覇権国やテロ集団の武器として使われる可能性が高まっているからだ。第一次世界大戦時に毒ガス兵器が使われた。風に乗せて敵陣に放出したはずが、風向きが変わって自軍にも大被害が出て、条約で使用禁止を取り決めることになった。だが、昨今の唯我独尊的な指導者は何をするか分からない。微生物、化学物質、電磁波…なんでも殺人兵器にする連中である。
今回のコロナでのドタバタ騒動からの教訓を踏まえ、今後も生じるはずの自然発生、人為発生双方の新規感染症パンデミックへの対応こそが必要なのだ。ワクチン開発体制、集中治療体制、経済活動への影響最小化措置、流言飛語防止策…。数え上げればたちどころに指が足りなくなりそうだ。
法律を必要とするものも多々あろう。都市封鎖も場合によっては必要になる。医療関係者の強制動員も必要だろう。そのための法整備は今すぐにも準備しておくべきだ。それには憲法の根拠がなければ法律制定できないとの意見もあるようだが、ボクは現行憲法の解釈で可能と考える。ただし結論は、それこそ国会でしっかり議論して出すべきだ。民主主義なのだから。
施策体系ができたとして、いざというときにそれをどう運用するか。自然災害では災害救助法により、都道府県知事に指揮権がある。パンデミックではどうするか。地震、津波、噴火、台風、集中豪雨などと違い、原因も災害範囲も最初は皆目わからないだろう。そうしたことを考えれば国家としての危機対応であり、防衛省に実行権限を集中するのが合理的と思えないだろうか。なお、強権措置を行使するのは最終手段。今回のコロナ程度では国民の連帯協力行動で対処できたことは証明済み。これが日本社会の長所と考えよう。(麻生太郎さんは「わが日本は民度が高い」と胸を張った。自信を持とう。)
わが国ではコロナは急に終息した。冬に向けて第6波が来るとの警報を発する専門家もいる。多少の揺り戻しはくるだろう。ほぼはっきりしているのは、重症化率はどんどん下がっていくということだ。コロナウイルスの本質がそのようなものだから、“新型性”が薄れれば、当然に予想されることである。
これを政治的メッセージにしているのがイギリスだ。同国の患者発生数は日に50,000人(わが国は300人)。これについてジョンソン首相は、想定の範囲内として、外出規制緩和を改める考えがないことを表明している。ワクチン接種などで政策的には十分ということだ。
無論反対はある。イギリス医師会は「混雑した場所でのマスク着用の義務化など、感染拡大を抑えるためのさらなる対策をとらないのは政府の意図的な怠慢だ」と批判する声明を出し、対策の強化を求めている。しかしジョンソン首相は考えを変えない。(彼は感染の体験者でもあり、その点も説得力があるとボクには思える。)
専門家の意見は聴くべきだが、政策を決めるのは政治家であるとの矜持(きょうじ)もうかがえる。“専門家”の声に振り回され続けて、政策を誤ったとの批判があるわが国を反面教師としたわけではあるまいが。