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国立大学は民営化したはずでは???

今日取り上げるの高知新聞の社説(2023.12.18)。
規模の大きな国立大に、強い権限を持つ合議体「運営方針会議」を設置する改正国立大学法人法が国会で可決、成立されたことに危惧を呈している。「大学の運営に企業経営的な要素を取り入れ、大学の国際的な競争力を上げる狙いがあるようだ。しかし恣意(しい)的に運用されれば、政府が大学の人事や教育・研究にまで介入し、学問の自由や大学の自治が脅かされかねない。大学教員らの反発が強いのも当然だ。」
社説のこの部分で問題点が分かる。

国立大学は各県に最低一つある。国民に高等教育の機会を与えようと作られた。しかし国の統制ばかりで独自性を発揮できず、学問も教育も中途半端で進化がなく、国力増進につながっていないカネ喰い虫などの批判で民営化され、それぞれが独立に法人化された。純粋な国の直轄大学ではない。

それを今さら、文部科学省の統制下に戻していいことがあるのか。その点に説明力がないから、盛山正仁文科相も国会で「恣意的な運用をするつもりはない。大学の自治が脅かされるという指摘は当たらない」と苦しい答弁をすることになる。文科省(国)が恣意的な運用をする気がないなら、独立法人に任せておけばよいではないか。
そして国民の科学・学術・教育に貢献が足りない大学法人には国庫資金からの助成を減らしていけば済むだけのこと。
18歳人口に対して、大学の受け入れ人数はすでに過多になっている。

それならどうするのが正解か。
今や学部レベルの教育は一般化している。義務教育にせよとまではいわないが、進学率はかつての高校進学率を上回っている。そして高校の所管は都道府県。
加えてかつてほぼ存在しなかった県立大学を、ほとんどの都道府県が保有するようになっている。国立大学のうち、どうしても外せない基幹数大学を除き、すべて地元の都道府県に移管すべきだ。知事としてみれば、もう一つ県立大学が増えても運営は可能だろうし、運営助成資金が大変と思えば統合し、規模縮小などをすればよい。

今の日本は国難状態。経済は落ち込み、外交では中国になめられ、行政のかじ取りを誤れば国民生活は素体的に低下の一途だ。エネルギー問題では、自前資源が領海内にありながら、その開発にも中国への遠慮で手を付けられない。(中国は尖閣周辺での堂々と天然ガスを掘削しているにもかかわらず)。
駅弁大学の運営やらで総理大臣の国運を考える多忙な時間を奪うべきではない。外交や安全保障がなおざりになって国が滅びるなんてことになったら、先祖や子孫に申し開きができない。

国立高知大学には「人文社会科学部」「教育学部」」「理工学部」「農林海洋科学部」「地域協同学部」がある。高知県立大学には「文化学部」「看護学部」「社会福祉学部」「健康栄養学部」がある。統合で総合大学になる。

国立大学の都道府県移管が許されない暴挙であると主張する者の側が、その根拠を示すべきだろう。例えば憲法違反になるなど。そんな根拠があるわけないと思うが。

【国立大の法改正】研究の多様性を損なう

 規模の大きな国立大に、強い権限を持つ合議体「運営方針会議」を設置する改正国立大学法人法が国会で可決、成立した。
 運営方針会議は大学の予算や経営計画といった重要な事項の決定を担う。決定通りに運営されていないと判断した場合は大学側に改善を要求できるほか、学長選考に意見を述べる権限もある。
 しかも、学外の有識者が想定されている3人以上の委員と学長で構成。人選は現行の学長選考・監察会議(同数の学内、学外メンバーで構成)と協議し、文部科学相の承認を得た上で学長が任命する。
 大学の運営に企業経営的な要素を取り入れ、大学の国際的な競争力を上げる狙いがあるようだ。しかし恣意(しい)的に運用されれば、政府が大学の人事や教育・研究にまで介入し、学問の自由や大学の自治が脅かされかねない。大学教員らの反発が強いのも当然だ。
 委員の承認では、文科省は大学側の人選を尊重する姿勢を示す。盛山正仁文科相も国会で「恣意的な運用をするつもりはない。大学の自治が脅かされるという指摘は当たらない」と答弁した。だが、日本学術会議の任命拒否問題を見れば、それも説得力を欠く。
 改正法には、運営方針会議の審議事項が教育・研究に及ばないことや、委員の承認に当たり、文科相が恣意的に拒否しないことなどを求める付帯決議が盛り込まれた。法的拘束力はないが、こうした決議を伴うこと自体、改正法の持つ危うさを物語っていよう。
 運営方針会議の創設はもともと、政府が世界最高水準の研究を行う「国際卓越研究大学」を認定するのに当たり、文科省の有識者会議で検討されてきた。
 認定の大学には巨額の支援を行う一方で、外部識者を中心にした「国民の期待に応えられるガバナンス(組織統治)」を条件とした。現状の認定候補は東北大のみだが、これを卓越研究大学の認定の有無にかかわらず広げた格好だ。
 政府は近年、国立大への影響力を強めてきた。運営費交付金を年々削減するとともに、競争的な資金配分を強化。中小の国立大は厳しい運営を強いられ、教育・研究活動や施設管理にも支障を来している。
 学長の権限も強めてきた。運営方針会議の仕組みが加われば、トップダウン型の大学運営がさらに強まるとみられる。同様の運営形態が将来、中小の国立大や私立大にも広がる可能性を指摘する声もある。
 本来、幅広い分野の教育・研究を展開することが望まれる大学が、短期の成果主義に陥ったり、政府が注力する分野の研究に傾倒したりしかねない。大学の自主性や研究の多様性が損なわれる恐れがある。
 大学の競争力強化の重要性は否定しない。だが、やり方を間違えれば研究の質や人材育成に悪影響を及ぼし、かえって競争力を失うのではないか。政府には慎重な運用が強く求められる。


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