映画『バービー』感想
映画『バービー』を観てからちょっと期間があいてしまったのだが、自分の中でそれなりに消化できたと思うので感想的なものを書いておこうと思う
あ、ネタバレ有りなので注意してほしい
観ようと思った理由
そもそもバービーは観に行こうとは思っていなかったのだが
公開直後にフェミ映画だ、みたいな感想を呟いた方が炎上し、その後にいやこれは反フェミ映画だ、という全く正反対の感想がいくつか出て来たので興味を持った
こういう映画は割と好きだ、バービー自体には全く興味が無かったのだが
この正反対の感想が出てくるという一点で興味が湧いて観に行ったという次第である
結論から言うと想像以上に面白かった
一言で評すると「玉虫色の映画」という感想だ
日本語で玉虫色と言うと「結論がはっきりしない」「八方美人的な」と言うあまりポジティブとは言えない形容詞になってしまうが、そういう意味ではなく「観る人間の立場によって映画が放つ魅力が変わる」という意味に捉えて欲しい
正しく事前に見たネット上の反応の通り
これなら正反対の感想が出てきても全く不思議ではない
本当に観に行って良かった、面白かったと胸を張って言える映画だった
女が男にする説教する時の定番のセリフが出てくるし
男が女に抱く不満をあえて女に否定させる台詞が「脈絡もなく」出てくるし
有色人種が大統領やノーベル賞受賞者役として出てくるし
でも結局物語を牽引するキャラクタは白人だけし
現実世界の企業の経営層は男だけだし
でもバービーの生みの親である女性は神のようにも描かれているし
バービーはバービーランドでは全肯定される存在だが
現実世界ではフェミニズムの敵として罵られる存在として描かれているし
と言う感じで、ありとあらゆる存在をフォローしつつ貶しもするという
正に「玉虫色」と形容したい映画だったと思う
こういうのは大好物だ
勧善懲悪みたいな分かりやすいのもいいが、こういう「実は一つの性質は長所と短所、善と悪なんかの相反する両方の特徴を併せ持っているよね」と言うのは本当に観ていてしっくりくる
バービーランドもそこに住んでいるキャラクターにマッチしていて
所謂「コスプレ」感が無いのも良かった
バービーとケンが現実世界に来た時にはあんなにコスプレ感満載だったのに、バービーランドでは本当に自然なのがすごく面白い
「2階から車に乗るのに見えない手に掴まれて空を飛ぶように移動する」「波がプラスティックで出来ている」みたいな人形遊びの延長上にあるお約束をユーモアを交えて演出したのも実に素晴らしい
定番バービー役の女優さんも正にバービーを地で行く外見と演技をしていたと思うので変なイデオロギーを抜きにしても本当に楽しめると思う
ただ一つの不満
いや、正直に言うと不満には思うが映画的には仕方が無いと思う
それはケンの扱いだ
ケンは中盤、いや最終盤の手前までは実に魅力的なキャラクターだ
序盤は単なるバービーの添え物として
中盤は自分の意志を持った存在、バービーの敵対者として描かれる
だが最後のシーンでは結局人形に戻ってしまうのだ
まあ主役はバービーだし、バービーの設定的にも脇役のケンが重要視されないのは仕方がない、でもこれはちょっとあんまりでは?と思うのだ
彼が最も輝くのは物語中盤
ケンより後にバービーランドに帰ってきたに定番バービーに対して
以下の様に発言するシーンだ
「今どんな気持ちだ?楽しくないだろ?」
この映画を通じて、バービーランドの住人は徹底的に自分の気持ちにしか興味が無いように描かれる、主役の定番バービーですら例外ではない
だがこのケンのセリフは違う
そして定番バービーは人間社会に触れ、物語終盤に人形であることを止める決断を下した後にケンに対して以下の様に発言する
「ガールズナイトばかりでごめんね」
これはつまり物語中盤でケンが到達していた地点に、バービーが追いついた事を示している
ところがケンは物語の最後に定番バービーにキスをしようとして拒絶された結果、大人しく引き下がってそれ以上何もしようとはしない
いやポリコレ的には正しいよ
でもケン
お前は他人を思いやるのと同時に傷つけもする人間としての能力を手に入れたんじゃないのか
キスはできないにせよ、せめて何かしろ!
これがまだ同じように拒絶されるとしても序盤と終盤のそれぞれのシチュエーションで演出が違えばケンの成長的なものが描けたのに全く同じだからなぁ…そこが残念だった
ラストシーンでは人間となった定番バービーが婦人科を受診していたが
その理由にはケンが関われていた事を願うばかりだ