羨しま not alone
「うちのおとんもおかんも、なんや知らん間にめちゃ若がえってるねん。おとんはなんや、YouTubeで政治家とかDIYの配信チャンネルを見たりしてるやろ。おかんは、家の中のいらんもんをメルカリで売りまくっとる。noteやっけ?知ってる?なんかブログみたいなん書いてて、気の合う友達も出来てんて。zoomで知らん人と喋ったりして楽しそうや。スマホを買ったときは、質問攻めで鬱陶しかったのに、今や親の方が活用してるんちゃうかな。あ、せや、風呂入ってるおとんの口笛がYOASOBIやねんで。信じられへんやろ。」
アイスカフェラテのグラスに刺さった、深緑色のストローを、太い右の人差し指でくるくると回す。オーサカに五年ぶりに帰ってきた幼なじみの浦島太郎は、五年前と同じように矢継ぎ早にあたしに話す。タロちゃんは変わった。遠く離れた知らない海の街暮らしで何があったか知る由もないが、痩せたし、灼けた。その変化のかげにあたしが知らないさまざまな物語あるのだと、妬けた。
「ほんでな、なんでそんな若返ったと思う?俺もしばらく気ぃつかへんかってんけどな、孫や。孫パワーや。ねえちゃんに二人目産まれたん、なぎさも知っとるやろ?じいじとばあばは、孫にメロメロやねん。俺、なんか実家におるのに、肩身狭いわあ。」
「せやかて、おじちゃんもおばちゃんもタロちゃんが帰ってきて嬉しいやろ。心配してはったやろし。」
せやけどさ。
不貞腐れと照れが混じったように呟くタロちゃんの唇は、端の方が切れて痛そう。ジッと見ても、あたしの視線を全然拾わない。むかつく。マスクをついっとずらして、コーヒーフロートをじゅっと吸う。長らくリップもご無沙汰だったあたしの唇は、久しぶりに「女の子」をしている。リップひとつで女だ男だと言っている時代ではないのだけれど、仕方ない。好きな男の子のことを想いながら、リップブラシにピンク色を馴染ませる行為に、あたしはどうしようもなく「女の子」という言葉を重ねてしまうのだ。
「なあ、なぎさも、なんで俺がオーサカ帰ってきたか聞かへんの?おとんもおかんも、誰も聞いてこーへんし怖いねんけど。」
テーブルに項垂れて、上目遣いなんてきつくて無理すぎて、ずるくてかわいくてひどい。
「乙音とあかんかってんやろ。聞かへんでもわかるもん。」
「ぐさっ。クリーンヒット、満塁ホームラン、年間MVP、のち傷害罪、業務上過失致死でタイーホ。」
知ってる言葉を並べただけやろ。意味わからん。
タロちゃんの左小指にきらきら光る金色のウェーブがかった指輪。その隣の薬指には気後れしたみたいに鈍く光る太い指輪が居る。きっとこの二つの指輪は、作り手も売り手も、そしてもちろんタロちゃんも、同じ手に付けられることが一切想定されていなかったタイプの指輪。ペアリング。あゝ失恋。世間一般的に珍しいことでもなんでもない。だけど、あたしにとっては洞穴の奥に金庫を作ってお札を貼って鎖でぐるぐるにして、ダイナマイトで地崩れを起こして絶対に二度と出会わないように用心していた初恋。その粉々が、不死鳥の如くひらりと手のひらに舞い戻ってきたもんだから、あたしの胸はせわしないのだ。
「一緒に地方に行ってさ、先輩のとこの店手伝いながら勉強して、やっとの思いで独立してさ。仲間も増えて、毎日楽しくて、幸せで。同棲して三年も経ってさ、満を辞してプロポーズしてさ。断られるって思う?フツー思わへんやろ。好きな人できたんやって。どこのどいつやと思ったら、一緒に働いてる後輩。開いた口塞がらんかったわ。何がって、十年も付き合ってるのに、乙音の気持ちに気が付かへんかった自分にびっくりした。」
乙音は隣の校区の小学校に通っていて、あたしたちとは中学の時に出会った。朗らかで楽しくて、笑顔が魅力的で、大好きだった。とてもいい子だった。だけど、どうにもあたしのコンプレックスをチクチクと刺激する女の子だった。だから、中学を卒業してすぐに、タロちゃんと付き合いだしたと聞いて、あたしはもう色々と認めざるを得なかった。この子には“負けた”だとか、タロちゃんはもうあたしを“選んでくれない”だとか。だからさ、今さらよ、そんな話。あたしにわざわざ全部聞かせないでよ。
「その後輩ね、亀田って言ってさ。“俺ら”より三つ年下で。なんていうかなー、なんかね、かわいいのよ。かわいらしいの。頼んなくて。俺、つい厳しく言っちゃったこともあったけど、憎めなくて。だからさ、乙音が亀田のこと好きって言っても、最初はムカつかんかった。あー、しゃあないなって。だけど、俺ってさ、亀田のこと結局見下しとったんやわ。乙音のことも舐めとったかも。離れてかへんやろ、って。しばらく経ったらな、恥ずかしくてたまらなくなった。腹立つ。なんて俺、思い上がってたんやって。乙音は亀田のこと、いつから好きやったんやろ。いつから俺と離れようと思ってたんやろ。俺、めっちゃ惨めやん、って。」
「俺ら」の「ら」は乙音とタロちゃんかな。それとももしかして、あたしも入ってるのかな。愚問。不問。公文行くもん。あほらし。くる。くるくる。きっとくる。コトン。タロちゃんが二つの指輪を右手で回して、外してテーブルに置いた。無機質な音を、喫茶店のBGMが柔らかく受け止める。いっそ、かき消されたらいいのに。悲しみも、苦しみも、湧き上がってくるあたしの憤りも、この靄がかった気持ちも。タロちゃんは、うん、ゴールドだ。金色が似合う。一等賞の色。他の追随を許さない色。無干渉な色。灼けた肌に馴染んでた。だけど、華奢で色白な乙音にはゴールドよりシルバーの方がイメージに合うな。言わないけど。きっと、顔も知らぬ亀田くんは、タロちゃんよりうんと優しい人だ。正しい人だ。乙音も正しい。タロちゃんは結局やっぱり、自分のことばかりを愛している。昔と変わらず、周りの気持ちを考えようとしない。だけどその自分勝手で向こう水で自己中心的な態度は、とてつもなくあたしを惹きつけ、狂おしくさせる。何とかして、そばにいたいなどと思ってしまう。
「なぎさはいつも変わらへんなあ。しょーもない話を聞いてくれてありがとう。喋ったら、ちょっと楽になったわ。誰を恨んだらいいかわからへんような気持ちやけど、なんとか生きるしかあらへんな。」
「タロちゃんさあ。」
「うん、なに?」
「タロちゃんにとっての竜宮城って、どんなとこなん?」
「はあ?どういう意味?」
「タロちゃんってさあ、アホやで。」
「なんやねん。」
タロちゃんが意表を突かれた顔をしたあと、ちょっとムッとしてる。でも、全然怖くないもん。あたし、もう黙ってられへんで。
「タロちゃんな、自分が浦島太郎にでもなった気持ちでいるんかもしれへんけど、浦島太郎は悲劇のヒロインやあらへんで。タロちゃんだけがこの世界に取り残されてるんとちゃうで。タロちゃんな、あたしやから言うけど、周り見てなさ過ぎやで。おじちゃんもおばちゃんも、あたしが知る限りずっと前から流行に敏感やったで。乙音の気持ちも変わるべくして変わったんかもしれへんやん。ちゃんと向き合ったん?聞いてる限り、自分の言い分ばっかり並べてるやん。竜宮城はな、運営側の努力ありきで継続するねん。ほんでさ、あたしはずっとあんたのこと好きやねん。しょーがっこーの時から好きやねん!なんで何にも気が付かへんねん。どこまで無神経やねん。なんで自分の都合ばっかり、つらつらつらつら話せるねん。もうええわ!聞きとないねん。あーもう、なんか自分でもわからへんけど、あたしは今すっごいむかついてる!」
ごちそうさま。千円札をテーブルに投げて、カバンを掴んで出口に走る。あれ?なんか、あたし、めちゃくちゃじゃない?もう、最悪や。何キレてるんやろ。はずかし。意味わからんやん。
ズンズンと走る。慣れ親しんだ街が視界をスクロールしてゆく。どうせ、タロちゃんは絶対追いかけてこない。きっとあたしの残したコーヒーフロートでも飲んでるんやろ。元カノの指輪を付けるぐらいやし。ケチ丸出し、はずかし。
だけど、あたしきっとまた、のこのことタロちゃんがいるところに来てしまうねん。浦島太郎が還るところには、いつも波が打ち寄せてるやろ。あたしは結局、意味わからんけどタロちゃんのなぎさになりたいんやよ。
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