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母の「ごめんね」に、抜いた乳歯を贈る
職場の近くにええ感じのベーカリーカフェがある。ハード系・ソフト系どちらのパンもおいしく、イートインコーナーも併設。店員さんはいつもにこやかで優しく、大きな窓からは陽がさしこみ明るい。昼休みにサッ!!!とランチを食べるのにちょうどいいのだ。
そんなおだやかな昼休みに、悲劇は起こった。
あれは2年前の3月末、ある週の木曜日のことでした。木曜日は一週間のうちでも一番心身ともに疲労感があり、心底糖分を求めているので、たいていここのベーカリーであんバターを買う。一般的なメガネケースぐらいの長さの小ぶりで硬めのフランスパンに、上品な味のつぶあんと、面積・体積ともに重量感のあるバターが挟まっている。冷蔵ケースに「え、食べるん?カロ爆やで?」と、言っているか言ってないかはわからんが、やけに堂々と鎮座してらっしゃるので、「小癪な」と、トングでトレーに乗せる。おっしゃ行くでー。いただきまーす!バクッ。
ごりっ。
歯が欠けた。
痛ーーーーーーッ…!しみる!空気がしみる!お湯も水も全部しみる!
仕事終わりに、とりあえずその日に予約できた初見の歯医者さんに駆け込むと、永久歯が後から生えなかったばかりに、虫歯を繰り返しながらもずっと残っていた乳歯が欠けたようだった。
この「あんバター乳歯粉砕事件」をきっかけに、小さい頃からずっと付き合ってきた乳歯と惜別し、歯抜けふがふがアラサー女性が爆誕し、色々な噛み合わせを考慮した末、100万円を支払って歯列矯正をすることになった。
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先日、100万円を分割6回払いで支払い終えた。やればできるもんだな。今、100万円分の領収書を机に並べ、ニヤニヤしながらこのエッセイをしたためている。金額のその数字自体は達成感のための目安でしか無い。確かに昔、「これができたら100万円!」だとかそういうテレビ番組、ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー的な記憶のせいで、100万円と言う語感は子ども心に巨額ではあるのだけれど、何円であっても私が自分自身の一生涯を見据え、この歯で、この身体でおいしいものを食べる明るい未来のために、自分で稼いでお金を払ったという実感がなんとも嬉しいのだ。なんと気持ちがいいのだろう。幸いにして、治療も順調に進んでいる。上下ともに親知らずが無いらしいので、大がかりな抜歯なども必要ないそうだ。
日々、歯を愛でている。まるでクローゼットからドレスを選ぶように様々な種類の歯磨きペーストを日替わりで使い、夜、歯間に詰まった歯カスを取っては、「大漁大漁」とニヤついている。
🦷🦷🦷
歯列矯正を始める前は、正直に申し上げると、「どうして私は生まれて生きているだけなのに100万円も支払わなきゃならないんだ」と、やり場のない怒りを抱えていた。端的に言うと、遺伝的要因も大きいと思う。父は親知らずが私と同じく生まれつき生えていない。また、永久歯が無い箇所があり、一部の歯を30代の頃から差し歯にしている。母もまた私と全く同じ箇所の歯並びが悪く、顎や口が小さい。
しかし、私の永久歯が生えてこなかったのも、歯並びがよろしくないのも、誰のせいでもないことだ。
親に「歯列矯正をすることにしたんだー」と告げると、母に「歯並びをよく産んであげられなくて、ごめんね」と言われた。母はたびたびそんな風に、遺伝か遺伝じゃないかを問わず、体質や性格のことに対して、産み方がーとか、育て方がーとか、おばあちゃんも若い頃はそうだったーとか、こちらが「そんなことないよ」「考えすぎだよ」と言うしかないようなことを、「ごめんね」、と言う。昔は、「そんなことないよ」と言っていた。最近、母がそのように言うたびに、ひどい憤りを覚える。
おかん、私が今の私を生きてるのは、私の責任じゃい。私の成果じゃい。おかんのせいちゃう。おかんは私の過程なのだよ。そんなに責任を負わんといてほしいのよ。負いたいのが親心だと言われると、なんとも言えないのだけども、そんな風に言わんといてよ。私がもし子どもを産んだとき、そして何かあった時、そういう風に思いたくないよ。思わないようにしたいよ。思ってほしくないよ。そして、そんなこと言うなら私は言い返したいんやけど、おかんが作った乳歯、32歳のときにフランスパンに挑んで屈するまで、この食い意地の張った私の口のメンバーの最古参で、最前線でバチバチにやっでたんやで。やばい乳歯やで。
私は言いたい。しあわせな味がするあんバターを再び食べられるようになり、生きてて良かったぜ!と思っているから、声高に言いたい。世の中の母たち父たち、そして大人になった子たちにも言いたいのだ。児童福祉法や教育基本法などでも定められているように、保護者は子を育てる義務はあるよ。だけど、それらを全うしてもらった上でのその先の人生は、子のもの、自分のもの、私のものなんじゃないかい!?と。
第1条 すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない。
2 すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない。
第2条 国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。
(家庭教育)
第10条 父母その他の保護者は,子の教育について第一義的責任を有するものであって,生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに,自立心を育成し,心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
ネットの海辺にいると、「こんな顔に生まれて親ガチャ失敗だ」とか、「親は子どもの全身脱毛代、歯列矯正代を出すべき」とかそういう言葉をよく目にする。インフルエンサーと言うのか、超フォロワー数が多い人が言っていたり、それに多くの賛同がついていたりすると、ギョッとしてしまう。正直、10代のときは、私もそう思っていたことがある。どっからどう見ても父親の家系似の顔や体型も、癖毛も低身長も、嫌だなあと思っていた。他にも、持って生まれたものに対して、それを当時、遺伝のせいだとか親のせいだとかまで恨んでいなかったにしても、不甲斐ないな、情けないな、苦しいなあとあえぐようなことがたくさんあった。今も、あるかないかと問われれば、ありますと答える。だから、あなたの今の苦しみは否定できないです。
でもな。30代になって思う。自分のこりかたまった往年のコンプレックスをとぎほぐして、克己する瞬間もまた、大きな人生の喜びなのだと。何を偉そうに、な。ほんと、そう思う。痛みや悲しみを伴うかもしれないけれど、きっといつしか。今抱えている苦しみもまた、いつかこうやってエッセイにしたためられるくらいに、人生の味とか、シワとかになるのだと思います。自分の人生、泳いで行こうね。
同じ空がどう見えるかは 心の角度次第だから
まさにそんな心地でね。あんバターのおかげでね、乳歯のあったところはまだ歯抜けのままだけど、どうやらそこから空が開け、涼やかな風が吹き込んだようです。今日からもまた、この歯とともに、暮らしてゆく。
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