中山道「関ケ原宿」の今。おいしい醤油に出会いました。
江戸と京都を結んだ五街道の一つ中山道の美濃16宿、その西から二番目の「関ケ原宿」を訪ねました。天下分け目の戦いで有名なように戦国時代の史跡はもちろん、壬申の乱の史跡などが随所にありました。ただ、今回は中山道沿いを歩きましたので、戦国時代の史跡はほぼ訪れませんでした。現在もなお交通の結節点で、国道21号線(旧中山道)と国道365号線(旧北国街道)の交差点を通過する車列は途切れることはありませんでした。とは言え、一歩幹線道路を外れれば、人通りもまばらなほのぼのとした田舎の街が広がっていました。
駅前は戦国ブーム
この日はお天気も良く、青空の下、関ケ原駅の駅舎がこぢんまりとたたずんでいました。駅に続く歩道には戦国武将の絵や家紋を意匠したかんばんが並び、何種類もの幟も並んでいました。駅前にある案内所(この記事の冒頭写真)で「旧中山道らしい」ところを尋ねたところ、何カ所かを絞り出していただけました。紹介していただいたところを散策しました。
旧道でも宿場感はなし
駅の近くを国道21号線が走っています。午後3時でしたが、ひっきりなしに車が通過していて、車の少ない「道」を歩道橋から撮影するのに意外に時間を取られました。影でわかると思いますが、左が東へ向かい、右が西へ向かっています。
駅から少し離れた旧道が中山道の名残になります。山間の街の普通の生活道路です。人通りはもちろん、車が通ることはほとんどありませんでした。
探さなくても史跡があります
少し歩くだけでいくつもの史跡に出会うことができます。とは言え、そのほとんどが「これは何?」といった感じのものでした。戸佐々神社はもう社殿が無くなっていて、祠が建っていました。兜掛石は壬申の乱の時に大海人皇子が兜を掛けた石だそうです。古くから交通の結節点であると同時に、陣を構えやすい場所でしたので、天下分け目の戦い(1600年)より900年以上前の史跡にも出会えます。
おいしい醤油に出会えました
旧中山道沿いではないのですが、歴史を感じさせる建物に出会いました。関ケ原醸造株式会社の本社工場です。板塀と漆喰、ポツンと立つ煙突、いきなり古き時代に戻ったような建物です。
関ケ原醸造株式会社は明治32年に創業した老舗で、旨味たっぷりの「関ケ原たまり」(宮内庁御用達)や通常の醸造醤油「味ヤマセ」、関ケ原たまりを使ったどら焼きやせんべいなどを直販していました。関ケ原たまりを購入しました。しっかりとした醤油の香りが立ち、コクのあるおいしい醤油でした。
「今須宿」に続き二つ目の中山道の宿場を訪れました。「今須宿」以上に宿場らしさはありませんでしたが、おいしい醤油に出会え、二時間ほどでしたが良い撮影紀行でした。次は「垂井宿」に出かけようと思います。