見出し画像

『学習する社会』#19 3.学ぶこと 3.1 決めること (2)選択の背景

3.学ぶこと

3.1 決めること

前回(#18)では、日常的に「決める」という状況、「あれかこれか」という選択状況について考えた。我々が、最大化原理よりは満足化原理で選択していること、あいまいな「価値観」という価値基準に従っていることを示した。今回は、価値基準と選択との関係について考えてみたい。

(2)選択の背景

「あれかこれか」という選択の場面でも、その選択方法は多様である。評価・選択の対象は何でも良い。商品の購入でも、休日の過ごし方でも、テレビ番組でも良い。我々が「あれかこれか」を選択する場面を想定して、3つの選択過程を考えてみよう。

合理的選択過程

意思決定理論の典型的な考え方で「あれかこれか」の選択を表現すれば、図表1のように表現される。決定者は価値計算のための目的構造を持っており、目的構造に照らして選択対象AとBの機能構造を評価し、目的構造と機能構造からAとBの価値を算出、比較し、大きな価値を持つ対象を選択する合理的選択過程である。目的構造は、主たる目的も副次的な目的も含めて達成したいと考えている多様な結果や考慮しなければならない制約、それらの重要性で構成されている。目的構造は上位目的構造から導きだされる。上位目的構造は内藤(2003)が指摘するように「メタ目的構造」と読んでも良い。

図表1 合理的選択過程
内藤(2003)、p.5。

目的構造に対応して機能が評定される以上、目的構造を形成する要素としての細分化された諸目的や制約条件は排他的でなければならない。しかし、排他的な諸細目からなる目的構造を設定することは困難である。例えば、東京に出張する場合の目的構造として【東京に行く/安く/早く/快適に/簡単に】を想定してみよう。「安くと早く」や「安くと快適に」の相殺そうさい関係は機能構造に反映させることができる。しかし、「早くと快適に」は独立ではない。快適にを疲れないとか楽しくという細目に分解しても問題は解決されない。独立した次元からなる目的空間を想定することが困難なのである。状況が限定され、要素的な目的が限られる場合でも、目的構造の排他的な明確化は困難である。排他性のない目的の関係性の構造とも表現できる上位目的構造を明確化することはさらに困難となる。なお、意思決定論では,さらに選択対象の網羅性も問題とされるが,ここでは合理的意思決定が必ずしも最大化を目指しているとは考えていないので問題とはならない。

合理化選択過程

選択のための目的構造の設定問題は、目的の先与性に対する疑問にもつながる。我々が目的構造に応じて機能構造を評定しているのではなく、機能構造の評定に合わせて目的構造を設定しているのではないかという、図表2のような考え方である。機能構造の評定が先行し、評定された機能構造に合わせて価値計算のための目的構造を設定する手順である。この手順の場合、目的構造は選択対象の組み合わせや提示されている機能に影響される

図表2 合理化選択過程
内藤(2003)、p.8。

東京に行く際、比較される組み合わせが航空機と新幹線の場合と新幹線と深夜バスの場合、あるいは一人で行く場合と同僚と行く場合によって、注目あるいは提示される機能が異なり、目的構造も異なるだろう。自律的に合理的であろうとする合理的選択過程とは異なり、この選択過程はいわば他律的な状況内で選択を合理化する合理化選択過程である。目的構造に応じて比較対象を選ぶ合理的選択過程と較べ、比較対象に応じて目的構造を設定する合理化選択過程の方がより日常的な選択方法といえるかもしれない。企業が提示する機能や特徴を受け入れてしまい、それらを評価して選択することは珍しくない。

選んでから考える

合理化選択過程において選択対象の機能に応じて目的構造の要素を列挙するだけでは、要素それぞれの重要性は分からない。価値計算のためには諸要素を構造化するための基準が必要である。結局、それが上位目的構造となる。合理化選択過程でも、合理的選択過程と同様に上位目的構造が選択にとっての鍵であり、上位目的構造は選択以前に所与であることは同様である。合理的選択過程や合理化選択過程の考え方では、上位目的構造がどのようなもので、どのようにできるのかという疑問に答えることはできない。

それでは、選択がなされてしまった状態を考えてみよう。我々は、日常生活において「~しよう」という意図を持って行為しているので、意図形成のために熟慮することは珍しくない。とはいえ、「思わず選んでしまった」、「何となく選んでしまった」という事態を誰もが経験している。熟慮の結果としての選択であっても、熟慮と同じようには物事が進展しないことも少なくない。いずれにせよ日常的な選択においては、目的構造あるいは上位目的構造の「所与性」、従って「不変性」を前提とすることはできない。

選択正当化過程

我々は未来に向かって選択する時と同様に、過去においてなされた選択を回顧して、選択の結果に基づいて選択が正しかったとか、間違っていたかという評価も行う。正しかったと判断すればそれを繰り返せばよいし、間違っていたと判断すればそれを忌避きひすればよい。このような過程は図表3のように想定することができる。事後的に自分の選択が正当であったこと、あるいは選択しなかった対象を選択すべきであったことを確認しようとするので、これを選択正当化過程と呼ぶことにしよう。内藤(2003)では正当化選択過程と読んでいるが、選択過程ではなく、上位目的構造の強化あるいは再構成なので正当化過程と呼ぶことにしたい。

図表3 選択正当化過程の例
内藤(2003)、p.10。

選択正当化過程では、回顧している選択そのものが正当化あるいは不当化されるだけでなく、その選択の背景にあった目的構造が正当化あるいは不当化される。過去における選択に矛盾が生じれば、矛盾を生じさせた目的構造が調整されるが、それは以前から存在する上位目的構造と矛盾を生じさせる可能性がある。新たな目的構造の調整は上位目的構造の変化をも促すことになる。なお、選択を正当化できる目的構造が上位目的構造へどのようにして組み込まれるかについては,様々な考え方があろう。例えば,ワイク(Weick, K. E. 1969、1979)を参照されたい。

学びに資する「選択正当化過程」

前回示した選択の事例に関して、内藤(2003)は例示した選択のその後については言及していない。例えば、日常的にはサッカーの中継番組を見ておらす、原稿の締め切りを過ぎて督促を受けていたとしよう。それにもかかわらず「サッカー観戦か執筆か」という選択でサッカー観戦を選択したのであれば、その選択は合理的選択過程でも合理化選択過程でも説明できない。周囲の人々が騒いでいたから、ワールドカップの試合を既に何試合か見ていたからなどという、言い訳いいわけを考えることはできよう。それでも、その選択で熟慮がなされていないことは明らかである。熟慮がない選択であっても、サッカー観戦を選択した結果はその後の目的構造に影響する可能性を有している。原稿を遅らせたことを悔やんで、サッカー嫌いになるかもしれない。原稿の遅れの影響がそれほどなかったことを幸いに、遊びを優先するようになるかもしれない

日常生活では、熟慮の程度は異なっていても、いつも何かを選択している。その選択のすべてが最初に示した二つのモデルのように合理性を持つわけではない。機能構造の評価と目的構造の設定を分離することは実際には困難であり、明確な目的構造を常に意識しているわけでもない。目的という明示的な形式では意識していない大まかな方針に基づいて行為を選ぶことも多い。慣習や伝統、習慣などに従って特に目的を意識しないで選択してしまう場合も少なくない。熟慮をしてもしなくても、選択した結果がその選択を正当化あるいは不当化する。その正当性ないし不当性は上位目的構造を変化させ、その後の我々の行為や態度を変化させる。選択正当化過程は「学び」に欠かせない一面であると言えよう。

今回の文献リスト(掲出順)

  1. 内藤勲(2003)「新たな価値が創られる」内藤勲編『価値創造の経営学』中央経済社、pp.1-20。

  2. Weick, K. E. (1969) The Social Psychology of Organizing, Addison-Wesley. (金児暁嗣訳 (1980) 『組織化の心理学』誠信書房)

  3. Weick, K. E. (1969) The Social Psychology of Organizing, 2nd, Addison-Wesley.(遠田雄志訳 (1997) 『組織化の社会心理学 第2版』文眞堂)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?