『学習する社会』#3 1.イノベーションから学習へ 1.2 イノベーションについて
1.イノベーションから学習へ
1.2 イノベーションについて
イノベーションのような変化が経営学において研究対象とされたのは、それほど古いことではない。経営学の原点は、科学的管理法と官僚制の議論に求められる。人々の行動を組織的に管理できると考え、組織的行動における安定性に言及している基礎的な考え方である。現在でも、安定性を追求することは重要である。未だに科学的管理法の中核である時間研究や動作研究が行われていない業界や会社は少なくない。そうした業界や会社で科学的管理法を取り入れると、大幅な費用削減を実現することも珍しいことではない。
他方、経営学の発展は安定性を追求する理論や手法の追求から、変化を制御するための理論や手法へと拡大してきた。その過程で、前節で言及したイノベーションの概念は経済・社会水準の概念から個別企業の活動水準の概念へと拡張されてきた。こうした変化に関する経営学理論の基本は、定常性を前提としながら均衡破壊をいかにして達成するかという点にある。
イノベーションと流行・普及
変化についての研究には一般的に二つの視点がある。一つは、「異」なものが生まれてくる場面に焦点を合わせる視点である。経営学や組織論の分野でのイノベーション研究、特に事例研究を中心とした微視的な研究は主としてここに焦点を合わせている。もう一つは、変化としての「異」が生まれ、それが当たり前の「常」となり、再び新たな「異」が生まれるという過程に焦点を合わせる視点であり、「異⇒常」という巨視的な変化に焦点を合わせることである。イノベーション研究における流行・普及研究は主としてここに焦点を合わせている。
巨視的なイノベーション研究は、異なものが生まれて、それが常になるという過程に注目してきた。例えば、辻 (2001)や栗木 (2003)によると、流行研究の理論的基礎はル・ボン(G. LeBon)の近接状態での流行を考察した感染説、タルド(G. Tarde)の印刷物を媒介とした流行の模倣説を受けて、ジンメル(G. Simmel)によって完成された。流行における同調と非同調の両面性の認識と流行における階層間の滴下効果についての指摘である。19世紀末に提示された理論的基礎を前提として、その後の流行研究はマスコミの影響を取り入れて展開してきた。
普及に関する理論は、ロジャース(E.M.Rogers、1982)のイノベーションにおける採用者分類に基づく理論が中心となって進められてきた。流行研究と比較するとその歴史は新しいが、近年、多くの研究者がイノベーションの理論的な基礎として援用している。最近では、ロジャースが提唱した正規分布型の採用時期分布が一部崩れ、初期採用者の採用の後に普及が停滞する現象を説明するキャズム理論をムーアが提唱する(G. A. Moore, 1991)など新たな展開もある。
変化の継続
ここで、変化という現象に注目してみよう。抽象度の高い表現をすれば、「変化」はある物事がそれまでとは違う状態・性質になることである。変化していない状態を表現する「定常」はある物事の状態・性質が常に一定していることである。変化という用語は「異」に注目し、定常という用語は「同」に注目する。既に述べたように。イノベーションなどの変化研究では「異」への注目が中核となっている。しかし、全てが「異」であれば、それが変化として認知されることはなく、「異」が認知されることはない。「同」は変化を認知するための基盤でもある。したがって、変化を研究するためには、「同」への着目も不可欠となる。従来の変化研究は、この「同」の側面を軽視してきた。
40年以上前に発売されたウォークマンは音楽の楽しみ方を一変させ、「どこでも自分だけで音楽を楽しめる」環境を提供した。「どこでも自分だけで」は、今でこそ当たり前のこととされているけれど、当時はそれ以前とは異なる側面であり、それこそが変化であった。他方、「音楽を楽しめる」は以前から存在していた同の側面であり、人々が音楽を楽しむという定常性の存在を示している。オーディオ機器は、常に「音楽を楽しむ」という同を前提として、設置型から可搬型、携帯型へと多様化してきた。
なお、オーディオ機器は音楽を楽しむことだけ使われるものではないが、議論の単純化のために、音楽を楽しむことだけに焦点を合わせている。ウォークマンが登場するまでのこの多様化の過程においては、利用者が個人的に音楽を記録しておく媒体は常にテープという同じものであった。ただし、テープの形状はオープンリールからカセットテープへと変化している。
ウォークマンという携帯型オーディオ機器の登場以降は、「どこででも音楽を楽しむ」という同を前提として、MD、HD/メモリーへと異な記録媒体が継続的に登場してきた。新しい記録媒体が登場する際には、「異・同」の総体ではなく異が注目を浴び、時間の経過と共にその異は常に変化する。そうして、かつて異であったものが同と見なされるようになると新たな異が導入される。今では、HD/メモリーは常となって、テープやMDが常から異へと変化してきた(図表1)。
記録媒体の変化と対応して、楽曲の入手方法なども変化してきた。アナログ記録のテープの時代には、購入したレコードの楽曲をテープに録音して楽しんでいた。デジタル化されたCDに対応してデジタル記録媒体のMDが導入され、傷に強いCDをレンタルする利用方法も増加した。小型化を促進した記録媒体のHD/メモリーを利用した機器の普及とともに、楽曲データのダウンロードも急速に一般化した。もちろん、楽曲の入手方法は記録媒体だけに依存しているのではなく、デジタル技術や通信技術の変化にも対応している[vi]。楽曲の入手方法は、機器と対応させて特徴的なものを示した。必ずしも、多数派ということではない。
異と同の包括性
異・同への注目は、微視的な異への注目や巨視的な異⇒常への注目と相補的な、変化研究における三つ目の視点である。変化において導入される異は、その時点・その環境における異を際立たせるために、その時点・その環境における同の存在を前提とする。「異⇒常」や「常⇒異」という見方も、一般的なイノベーション研究も、焦点となっているモノやコトがどれほど当たり前になったり、あるいは当たり前でなくなったりするかという経時的な変化に注目している。ここで述べている「異・同」は、ある時点において異ととらえられるモノやコトであっても、そこに同の側面が同居しているということに注目している。新しいモノやコトには「異」と「同」が包括的に内在しているという共時的な性質に注目している。
ある時点に出現した特定の異に注目するだけでは、その時点に他にも多様な異が出現していて、それらが共通の同を前提としている可能性は指摘できない。LPレコードからCDアルバムへの移行では、提供される楽曲の時間が同であった。図表には記していないが、レコードとテープの組み合わせからCDとMDの組み合わせへの移行にはアナログからデジタルへという技術の変化が潜んでいる。レコードからCD、データへという異とテープからMD、HDへという異は、デジタル技術という共通する同を前提としている。
携帯音楽プレーヤーにおける記録媒体の変化と楽曲提供の方法の変化、さらにはアナログデータのデジタル化技術の変化やデジタルデータの圧縮技術の変化など、ある時点に出現する複数の異が共通する同を前提としている場合、それらの異が常になる変化において相互に影響する可能性は大きい。しかし、一つの異にしか注目しない「異⇒常」研究では、そのような変化は把握できない。
多くの変化が共時的に不可分な包括性を持っており、変化の経時的な動態(ダイナミクス:dynamics)はその包括的に理解すべき「異・同」の状態にも依存している。従来の多くの研究では軽視されてきた多様な変化の相互作用に注目することも重要であろう。学習が相互作用する動態に注目する「学習する社会」という見方の重要性がここにも見ることができる。
今回の文献リスト(掲出順)
辻幸恵 (2001)『流行と日本人―若者の購買行動とファッション・マーケティング―』白桃書房
栗木契 (2003)『リフレクティブ・フロー―マーケティング・コミュニケーション理論の新しい可能性―』白桃書房
Rogers, Everett M. (1982) Diffusion of Innovations, 3rd ed., Free Press (青池慎一/宇野善康訳 (1990) 『イノベーション普及学』産能大学出版部)
Moore, Geoffrey A. (1991) Crossing the Chasm: marketing and selling technology products to mainstream customers, HarperBusiness. (川又政治訳 (2002) 『キャズム』翔泳社)