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【読書】『謙信襲来 越中・能登・加賀の戦国』荻原大輔著

戦国大名の中で抜群の知名度を誇り大人気の上杉謙信を侵略された北陸側の視点からとらえたユニークな一冊。歴史好きな自分は、小説、漫画、ゲーム等のフィクションで作られた英雄像も好きだし、こうした史跡や文書等の資料からわかる戦国大名の実態を研究したものも好きである。

謙信は生涯に渡って11回も北陸方面に出征している。越中では神保氏と椎名氏の争い(越中大乱)が始まっており、謙信は父の代からの縁もあって椎名氏の援護の名目で越中に進軍した。4次北陸出征になると謙信は神保氏と組んで椎名氏と対立をしていく。義を重んじる武将がかつて支援していた側の仲間を敵として攻撃しているという事実がわかる。

「昨日の敵は今日の友」と言わんばかりに謙信のこの掌を返す傾向は11次遠征まで見られる。謙信は、椎名氏、神保氏、畠山氏、本願寺に対してその時の時勢に即して味方になったり敵にまわったりを繰り返してきた。「義」や「節目」といったキーワードを掲げつつもリアリスティックに手を組む相手を変えて戦略を進めていった戦国大名としての面が読み取れる。こうして、初期のスローガンはどこへやら、最終的には越中・加賀・能登を領土として実行支配していくことになる。

1577年9月11日に七尾城内で親上杉派の遊左続光が畠山氏に対してクーデターをあげると七尾城を攻め取り、手取川の合戦では織田方に大勝して北陸の覇者となる。同年9月25日には奥能登の松波城を落城させるという超速ともいえる平定を成し遂げる。

謙信による遠征は苛烈だったようで上杉軍による兵火にさらされた伝承を持つ寺社が多くある。著者の萩原大輔氏の調べによると能登が突出して多く被害にあっていて、本著ではその具体的な数が提示されている。能登にとっては上杉軍は侵略者としてのイメージが色濃く残っているといえよう。萩原氏の今後の研究に期待が掛かる。

こうしたことから、奥能登の民衆が夜陰に紛れて太鼓を打ち鳴らして上杉軍を追い払ったという「御陣乗太鼓」が伝えられていることに至極合点がいくのである。収穫期である9月末に上杉軍が来てしまったものだから民衆も必死で、武器はないけれど生存を賭けたドラミングに打って出たのだろうな。

思えばわたしの住む関東は北陸以上の17回も謙信に攻め込まれているのであるが、出征の多さに比べて兵火の被害にあったという伝承があまりないような。気になったので検索で調べたところ埼玉県北部の加須市騎西では「越後のものとだけは結婚してはならない」という言い伝えがあるそうな(本当かどうかはわからないものの)。恐るべし上杉謙信。

目次

第一章 襲来前夜
第2章 盟友救援
第3章 報復攻撃
第四章 侵略戦争
第五章 能州蹂躙
第六章 伝承生起

メモ

・弘治の内乱 能登版三国志ともいえる7人衆の争い

・椎名康胤 富山の魚津あたりの国人

・鰺坂長実 謙信にスカウトされた近江人で越中中部を任される

・河田長親 謙信にスカウトされた近江人 越中東郡を任される


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