暗号資産詐欺に合った その12

先の記事で触れた、家計の持ち直しのための副業について、妻と少し話をしたので記そうと思う。

本業とは別で、空いた時間に仕事をして、お金を稼ぐことができるが、妻の意見は、そんな事をやっても本当にいいのか、というものだった。

この意見に対して、私は違和感を覚える。人が自分の時間をどのように使い、どのような仕事をして、どのようにお金を稼ぐかは、自由なのではないかと思う。

確かに会社のルールは副業が禁止になっているが、そこはしっかりと本業をこなしていれば、相談の余地はあると思う。もちろんルールで定められてる以上、副業を始めるに当たっては会社と相談を行う。

私が違和感を覚えたのは、妻が、そのような人間が持つ自由な発想を失っているのではないかと感じたからだ。

確かに、限られた制約の中でうまく物事をやりくりすることは必要だと思うし、子供の頃の学校教育では、しっかりルールは守るように、ルールの範囲内で行動するように、と教えられてきたような記憶がある。

ここでもう一つの違和感を私は思い出す。誰かが定めたルールに対して、それを守らないといけない立場の人間は、そのルールを定めた人にとっての利益を助けることになり、ルールを守る側としては損失を被ることになる。

もちろん安全に関わるルールや、必ず守った方がいいようなルールがたくさんあることも承知しているし、全てのルールに利権が絡んでいるとは言うつもりは無い。

しかし、ほとんどのルールは何かのトラブルが起きたときの再発防止として考えられたもので、その時代背景のもとに作られたものであるので、全てのルールを守る必要はないのではないか、と考える。

ルールの範囲内でしか行動できないのなら、ルールがまだ存在しない新しい領域において、何もチャレンジできないということになるなるのではないか。

人間は社会的動物であり、自由意志などというものは幻想にすぎないことはわかっているつもりだが、自らに本質の無いルールを課して、自分の行動できる範囲を狭めて楽しいのか。このような考えで生活していると窮屈に感じることはないのだろうか。


これは、それぞれの価値観であり、性格や個性と言えるのかもしれない。人間は大人になるにつれて、いくつものルールを知り、自分が所属した組織のルールを守りながら成長し、自分というものを理解していく。

私は普段の子供たちの行動がとても自由で、大人が思いつかないような発想を持っていることに驚かされることが多い。

この子供の頃に持っていた自由な発想によるひらめきは、人間が人間らしく生活するための一つの知恵なのではないか。

このようなひらめきも、いずれはAIが得意とする分野になるかもしれないが、ほとんどの単純作業はAIに置き換わると言われているこの時代で、人間らしいひらめきを忘れないように、人間らしい生活を送りたいと思った。

今回も脱線して、暗号資産に関する詐欺の経緯は話できなかったが、次はやろうと思う。

いいなと思ったら応援しよう!