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HSS型HSPの参考にならない自分軸の持ち方と「旅はソロプレイ、世は自己責任」

旅は道連れ、世は情け。

義理人情を重んじる(重んじすぎて与えすぎだと母に睨まれるくらいには)、記憶の中では父の格言の一つと言える言葉。

ただ、えすえすの場合は、「旅はソロプレイ、世は自己責任」をいつからか持ち始めていた。

いつから、を紐解いたらたぶんこれだなと思ったのが、やはりというか3.11の東日本大震災。

正確には、その2日後に、地震直後まで立っていた店の様子を、避難先から自宅にいったん戻った足で車を借りて向かっていったときのこと。

大部分の商品は波にさらわれてだめになったけど、本部は回収不可なものの食料としては食べられるものを、現地に取りに来れるなら配っていると副店長から連絡をもらい、そこに向かうことにした。

当時、店のスタッフで店長・副店長から某モバイルゲームの某ロワイヤルなゲームにハマっていて、

主要な通信網がパンクしていても、直接の連絡先を交換しなくても、そこの掲示板やDM的なメッセージでやりとりしていたりもしていた。

この経験があるせいか、今でも某モバイルゲームは完全にアカウントを消していなかったりする。いつどこで誰とどんな連絡手段を確保できるか、わからないものだから。

「店はだめだ」とも送られてきたので、まあもう当日夜には波がどうとかと聞いていてだめだろうとは思っていたので、あとはその後を見に行くかどうかだ。

電気は停まってるし店内カオスだし、どこの店でも物が買えなくなっているという食料品事情がやや厳しいというのはあったけど、どっちかっていうと店とその周りの景色がどうなっているかを見たかった。

そして早く現実を受け容れたいなと思った。

ただ、向かう条件は、以下の通り。

・海沿いだけ電気が復旧していない(海沿いの変電所が、確か完全浸水でしばらく機能しなくなったから)

・地震からまだ2日後なので、どこで何がどうなっているか分からない。(特に海沿い)

・余震がいつどう来るかまったく分からない(避難中にも何度か来てた)

まあ、144センチのちみっこ非力人間、よし行ってくるわ、と言ったら、

「ふざけてんの?」と、マジで母に言われた気がする記憶。

母と地元にいる妹と一緒に避難先で1日半くらい過ごし、電気の復旧とともに自宅に戻り、

父は弟と一緒に自宅警備しつつ(結構このへんも空き巣いたらしい)、入れ替わりで当時の仕事から既に海沿いの復興活動に向かっていて、

ある意味安全を取り戻そうとし始めているときだ。

まあ、ええ、たぶん、普通の女子行かないんだろうなこういうとき。

当時、震災当日まで女性スタッフの先輩が二人いて、その二人とは結局その場が最後の仕事日になったけど、おそらくこの二人はこのタイミングで海沿いには行ってなかったと思う。

お一人はご家庭のあるお母さん。ご家庭あるし無理はすなってなる。ちなみにこの方だけ震災以降一回も再会していない。

もう一人は宮城で彼氏さんが働いているといってた年下のヤンギャル。後から彼氏さんと連絡が取れたらしいことは分かってよかった。が、この方には店長たち声かけてなかった気もしている。高校生の次に若いくらいのお姉さん、存在感が不思議だった。

んで当時は一生独り身だろうと思ってた、心は自由人えすえす。

不思議と、「道中何が待ってるだろう怖い」とか、内向感がこのときゼロ

目的が定まっていたせいもあるかもしれないけど、

「身一つでとにかく行ってやる感」が強くて、迷いがなかった。

よく忘れそうになるけど、このくらい頭と心と行動にブレなさがなければ、内向型の不安に外向型の突き抜けるエネルギーは勝つんだと思う

「道中死ぬなら死ぬで、いつかは死ぬんだし、てかほんとに道がやばかったりとかしたら引き返すくらいで行こう。いやでも近隣地域から店長たちは店の近くまで行けてるんでしょ?行けるルートはあるってことよね?

先人から学ぶというか、先人がいるんだったらやれるよね的なノリも大きかった。

いやでもほんと、似たような状況が起こり得るかもしれない未来でマネしないでくださいね。ほんとに。危ないんで。

なぜ行けたかというと、一人で行ってくるって状況だったこともあるかもと感じている。

これで、「もし一人じゃ行かせられない」ということで、母が付いていくとなっていたら、

さらに仮で父が代わりに受け取りに行くとなったら、やめたと思う。

親とはいえ、他人を巻き込むとなったら、そこで何かあったら、ずっと引きずりそうだったから。

それを他人軸と言うのかもしれないけれど、ならばこの時期ほど自分軸を感じたことはなかったなとよく振り返ったりする。

でもここから、いろんなことは起こったけれど、自分軸で決めていたせいか、結果がどうであれ今でも不思議とすっきりしていることが多い

それでもときどき、行き過ぎた自分軸は、全力で駆け抜けすぎて、少し遅れてPTSDのような余波も運んできていた。とにかく無理はせず振り切って、止まるときは止まってが大切です。

 

■懸念していたリスクとその後

・海沿いだけ電気が復旧していない(海沿いの変電所が、確か完全浸水でしばらく機能しなくなったから)

→下記の理由で遠回り迂回ルートを使うことになったので、対向車や向かう先の車が心配〜とか思ったものの、そもそもで2日後の段階で海沿いに向かおうと考えてる同志にあまり遭遇せず、心配なかった

(やはりというか後処理・復興系の人がほとんどだった。ときどき野次馬見たけど)

・地震からまだ2日後なので、どこで何がどうなっているか分からない。(特に海沿い)

→第一候補はフェリーターミナル前を経由するルートだったけど、海沿いへの橋が片道バリケードで塞がれてて、どれかというと「そこを通る時点で対向車線の気にかけ方が不安、ぶつかりそうで怖くて迂回」

第二候補の遠回りルートへ。途中までは信号が復活してて、どんどん職場に近づくにつれて電気が停まっていく、だいたい被害が分かってくる、みたいな感じになった。結果的に負の意味でじわじわきた。

・余震がいつどう来るかまったく分からない(避難中にも何度か来てた)

→その日は懸念するほど起こらなかったように思う。その後は来たけど。

 

例が極端過ぎるけど、「旅はソロプレイ、世は自己責任」は、ただ闇雲に人を遠ざけようとするものでもない。

自分自身はどうなろうと、たとえ誰の助けがなかったとしても、その目標を叶えたいか?

そこまで思えたときに、なんとかなる状況がついてくる、乗り越えられる何かが飛び込んでくる。

ベストなタイミングで差し出されるご縁や援護が、目の前に現れてくる。

ソロじゃない団体旅を否定してはいないけど、ソロプレイする覚悟がない人がリスキーな場所に飛び込んでも、マジでリアルに道連れになる。それを情けというなら、何が起きても文句は言えない。

誰かが一緒にいてくれたら、って気持ちの向きが、自分なのか相手なのか。

自分が不安だから一緒にいてほしいのか。戦力を倍以上にするために一緒にいてほしいのか。

たとえ背中合わせで戦えたとしても、一緒に居た誰かがくたばって自分だけ生き残るとか、そんな三流ストーリーもゴメンなだけだったりもするので。

 

度が過ぎると緊急時以外も他人を頼れなくなりがちなんだけど、それはある意味悪い意味で過去の成功体験への固執なんでしょうね。反省することが結構ある。

まあいろいろ、ここまで振り切ることが今後はないことを願いたいなとは思いつつです。

でも、人生、ありえないことはありえないので。いつまでも、これからも。

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