いまさらホロライブGTA雑感
すでに旬が過ぎてしまった感があるが、ひと月経って自分の中で言語化や、ほかの評価記事/コメント等を閲覧しながら、他人軸との分析も一旦済んだので、ここで投稿しようと思う。
本投稿では、2024年9月17日~23日までに開催されたホロライブ内でのGTAイベント(以下ホロライブGTA)を振り返るというより、ほか箱のGTAだったりを引き合いに出しながら、分析/評価をしていきたい。
主観が入るのはご愛嬌。
以下敬称略
概要
まず結論から言うと、今回のホロライブGTAは異例の形で成功したといえる。もう少し詳しく言うと、ほかGTAイベントとは違う形で成功した。
ここでいう成功とは、新規リスナーの獲得や外部への訴求を意味する。
多種多様な人材が入り乱れるVCRGTAや同じ箱内であり、文字通り桁違いの規模で行われるにじさんじGTAなどと比べると、GTAというゲームへの理解やFPSへの慣れ、組織的な行動など、それらに関するクオリティがホロライブGTAでは担保されていたとは正直言えない。それは終わってみてもいまだに思っている。
しかしながら、上記の成功という視点で見れば、ホロライブGTAが頭一つ抜けて完成度の高いエンタメをリスナーに提供したといえるのではないだろうか。
そもそも、GTAというゲームは想像以上に難易度の高いゲームである。
GTAというアンチ配信者ゲーム
GTAはロスサントスという架空の街を舞台にしたゲームである。個人プレイのゲームなのだが、ロールプレイサーバを利用して、多人数が一斉にログインし、共同で街を運営したりする遊び方もある。上記のGTAイベントはそれに類する。
GTAは非常に自由度の高いゲームである。警察/ギャング/病院などいくつかある選択肢の中から自身の役割を演じたり、責務を果たす必要がある。しかしながら、GTAは基本的にアブない香りのするゲームであるため、汚職に手を染める警官や、複数のギャングチームが離合集散を繰り返したり、陰謀や裏切りで政情不安が起きるなど、情勢の均衡や人間関係がリアルタイムで変化することが魅力になる。
それらは役割というロールプレイが一種の制約となっていることが条件としてあるが、これはリスナーだけではなく、タレントにも不利になることがある。
それは配信エンタメを追求するか、ロールプレイに徹するかのどちらかを常に選ばされているということだ。
配信エンタメを追求すると、ロールプレイがおざなりになりかねず、ロールプレイに徹すると画的に映えないことが増える、ということだ。
また、指示コメが増えるどころか、プレイングミスでコメント欄が荒れることもGTAではよくある。
言い換えればGTAを材料にして配信するか、GTAに埋没して遊ぶかの二択である。どちらかを優先すればコメント欄が荒れ、どちらかを優先すれば数字は冴えない可能性がある。
また、GTAは人間関係が肝であるため、初対面同士だとラインの見極めから始まり、期間終了近辺でやっとお互いの持ち味が生かせるようになる、ということがよくある。それまでの時間が割と長いことが多い。
この辺りはVCRGTA、にじさんじGTAが顕著だろう。
また、運営から課せられるルール(警官の汚職禁止など)によって、情勢や活動に直結して支障があるなど、難易度が変動する。
配信者の視点から言えばこのゲーム、盤外で考えることが多すぎる。
上記を踏まえてホロGTAの各陣営を見てみよう。
ホロライブGTA-ギャングの事情-
今回のホロライブGTAでは当初、ほかのGTAと同じように警察とギャングの抗争が主だったコンテンツの花形という認識だった。
わかりやすい例なのでギャングから言うと、配信エンタメという点で見たとき、ギャングの撮れ高は渋かった。そもそも、組織を率いた常闇トワとアキ・ローゼンタールの目標はユニオンまで行く(途中で固まったらしい)ということで、ギャングに所属したメンバーには0からの実践教育で経験を積み、組織としてまとまる必要があった。
所々華々しいシーンはあった、一部バグなどどうしようもないことはあったが、配信としては大部分がひたすらコンビニや銀行を襲い、犯罪の研修を受ける地味な画だった。
これは配信エンタメをある意味あきらめ、ギャングとして成長していく、抗争を行うことを固く貫いた結果だといえる。
華々しいシーンは配信の天才 兎田ぺこらが撮れ高を随所に提供し、FPS慣れした常闇トワと百鬼あやめの銃撃戦などがあったことだろうか。
もちろん、犯罪イベントもそれに含まれる。
ホロGTA-警察の事情-
対して大空スバル率いる警察側はギャングに対して数的有利な状態であり、ギャングの犯罪にほどほどに対応しつつ、主に自由に遊ぶ署員たちがスバルの頭を悩ませるという配信エンタメを提供した。
GTAというゲームでは警察は抑止力的な存在であり、装備の面でもギャングより優れている。また、獅白ぼたんというテクニカルアドバイザーがいたことで、現場指揮やノウハウ、フィードバックなども円滑に行える。
警察はやろうと思えば、いつでもギャングをつぶすことはできた。
実際、ホロライブGTA開始直後数日は警察による予防措置が取られた。具体的には職質でギャングを確保し、組織犯罪を行わせないようにする一種の嫌がらせだ。そして、これが批判を浴びてしまった。
ギャングが程よく活動できないとホロGTAの経済活動が停滞するためである。
つまり、警察側はロールプレイに徹しすぎると、やり過ぎてしまう上に、配信エンタメとしてもつまらないということがわかり、ギャングの犯罪にはほどほどに付き合う、という対応にシフトした。
その余力を配信エンタメに振ったのか、エンタメの質と量はギャングより警察の方が多かったように思う。切り抜きの数や当時の同接の数を見てもそれは明らかだ。
ここまで2者を比較したが、ここでは優劣を語りたいのではなく、どちらも勝利条件は満たしている ということを強く主張しておきたい。
ギャングは配信エンタメを提供するには覚えることが多すぎて、あきらめざるを得ない役割であり、警察はロールプレイに徹しきれない側面がある。
これはGTAの性質であり、一概に両者の能力が原因であるとは言えない。
そもそも現場指揮の能力や銃撃戦のスキルなどは大した問題ではない。
ギャングはGTAというゲームを組織立って演じきったので、ロールプレイに徹するという勝利条件を満たしている。
警察は配信エンタメを重視、成果を残したので、勝利条件を満たしている。
それだけのこと。
そもそもGTAはどちらも両立させることは難しい。
仮に両立させようとするならば、一部のタレントの意思を無視したり、逆に一部のタレントを優遇する必要があるだろう。
果たしてそれは箱内GTAであってよいものだろうか。
ホロライブGTA-第三勢力-
ホロライブGTAが異例の形で成功した、という根拠が本章である。
警察とギャングの抗争という形で収束しがちなGTAイベントで、成功に寄与したのは白市民(非警察、非ギャング)たちであった。主にパン屋。
パン屋には基本的に警察もギャングもあまり関わらない。パン屋の夫妻と娘、そのほかのメンバーによる愛憎劇がリスナーの枠を飛び越え、外部まで話題となった。
他のGTAイベントでも白市民が話題になることがたびたびあるが、第三勢力としてメインストリーム(配信需要)を形成し、警察、ギャングを凌駕するほどの話題を形成することは無いように思う。
要点をまとめると、パン屋は上記の警察、ギャングの抱えていたジレンマ=ロールプレイを完遂しつつ配信エンタメを提供という、これまでのGTAが抱えていた難点を克服した成功モデルだ。
そもそもロールプレイと一言でいうと簡単だが、GTAイベントでは遂行はタレント個々人によってばらつきがある。本来持つ「なりきり」というよりはそれぞれの陣営の「責務を果たしている」というモデルが多い。
しかしながら、ことパン屋では本来のロールプレイが行われた。
詳しいことは長くなるので省略するが、この集団の配信エンタメの肝は戌神ころねという台風をいかに捌き、コントロールするかにかかっていた。
後日談で、方針は決めてあるが、具体的な情報は中心となる戌神ころね、天音かなたに伏せるなど、プレイヤーたちに意識させない措置を講じていたことが分かった。
放任させて暴れるだけ暴れさせて、周りがやっと追いつく、というわけではなくほどほどの情報統制を行うことで、自由と制約をうまい具合に課したことが功を奏したのだろう。
なぜなら人間関係の下地がすでにできていたからだ。
これはホロライブでないと成しえなかった。
GTAイベントの利点・難点
最初に述べた通り、初対面同士で接触した場合、仲良くなるのは終盤であることが多い、それはVCRGTAやにじさんじGTAで共通しやすい。
その代わり、それまで関係のなかった面子がそろうことで生まれる化学反応という潜在的な利点がある。それは数が多けれ多いほどいいし、箱の枠組みを超えた絡みだとより顕著かもしれない。
上記の2者はそれを期待している。
比べてホロライブGTAは結局のところ、見知った面子が集まって行う大規模なコラボという考え方もできる。
いつメンの安心感と化学反応を天秤にかけた結果、前者をとったともとらえられる。
だが、この期待する利点とは裏腹に難点も潜在的に存在する。
1.配信エンタメ、ロールプレイ問題
2.明確な力関係
3.箱推し不足
1については前述したので省略するが、付け加えるなら、箱内ではないVCRGTAでは「自分が目立つ」という意識が少なからずある。仮にそのような行動を起こしたとしても、目をつむられることが多い。批判を受ける線引きが緩い、といえるかもしれない。
対して、にじさんじGTAでは規模が大きいとはいえ、同じ箱内である。配信エンタメを重視した結果、周りに迷惑をかけたら、批判を受けやすいという心理になるだろう。
いうなれば心理的安全がない。
かといって安全策に走り、ロールプレイに没頭したらエンタメを提供することは難しくなる。頭一つ抜けた同接数を確保するためにはエンタメに走ることは必須であるのに。
2については肌感覚によることが大きいのだが、登録者数が2桁3桁違うタレントがゲーム上とはいえ、同じ時間と場所を共有するということは、プレイングミスなどで迷惑をかける、ということに恐怖を覚えるだろう。
具体名は出さないが、某GTAイベントで大御所のタレントを襲撃してダウンさせただけで批判が殺到したこともあった。
これも心理的安全がない状態だといえるかもしれない。
襲撃された側もエンタメだからと火消しに回っても、一度火が付くと手が付けられない。炎上リスナーの解釈では「襲撃行為は進行上邪魔だから、手を出すな」といったところだろうか。
もし、数字が対等とまでいかなくても、近い数字であればどうなっただろうとは考える。このような心理的安全が担保されていない状態では、最悪の場合、大御所に対して忖度し、引き金も引けないGTAがあるかもしれない。
3については、「知らないタレント」という存在がリスナーにとってどのように見えるのかということだ。
にじさんじGTAが主だが、大きな規模で、不特定多数の人間の交流が発生する反面、リスナーは特定のタレントしか見ない。ということが多い。なぜなら箱推しが物理的に無理だからだ。
タレント同士の関りの中で、リスナーにとって「絡んでほしくない」という印象を持ったタレントとも関わる可能性がある。
このリスクは潜在的に存在する。特に規模が大きければ大きいほどリスキーだ。「誰?」となればまだいい方で、2と関連して、何かあるたびにヘイトを向けられる可能性を常に抱えることはタレントにとって不安であるように思う。
ホロライブGTA成功の要因
ここまで書いて要点をまとめると、上記の3つの難点を克服、あるいは一定以上の成功を担保したことになる。
1.配信エンタメ、ロールプレイ問題→モブになりがちな白市民ほど、縛られずにプレイできることを証明した。そして配信需要があることも証明した。
2.明確な力関係→ホロライブ内の力関係はほかのGTAイベント参加者と比べて極端ではない。
3.箱推し不足→ほかのGTAイベントと比べて、箱推しの存在がイベントの盛り上げに寄与している。
1については割と見落としがちな視点であると思う。もしくは再現が難しいともいえるかもしれない。
GTAはアブない香りのするゲームであるが、「それから距離を取りたい」というニーズも明確に存在する。つまりのんびりスローライフ系である。
果たしてパン屋がスローライフ系かどうかは首肯できないが、日を追うごとに市民の愛憎劇が展開されていく様は圧巻であった。
いい感じに解釈するなら、ギャングや警察のある意味単調な関係とは距離を置いて、街の片隅でなんかすごいロールプレイ愛憎劇を演じる、という言葉にすると簡単だが難易度の高い、リスナーの配信需要の一角を築いた。
2については、下世話な話になるが、チャンネル登録者数などの数字が2桁以上変わらないという面が大きいと思われる。同接はどうしても才能と積み重ねに依拠するが、「ホロライブ内のタレント同士」「チャンネル登録者数等の数字の極端な差がない」という2点の性質が、タレントとリスナーに関係性の公平さを担保しているといえる。
3については、Vtuberの事務所のまとまりとしてみたとき、ホロライブの箱推しの数が突出して多いように思う。
厳密にいうと、単推しなどでも、大体のメンバーは知ってるというリスナーの存在が多い。
リスナー視点で見たときVCRGTA、にじさんじGTAなどでは共通して、多様な人間が入り乱れるため、化学反応を期待する反面、未知の人間と強制的に絡まされる、という欠点もある。
対して、ホロライブGTAの場合何かの拍子に絡んだ時、「あんまり関わりないけど、このタレントはこういう人だよね」と既知であることが多く。さらに「ついでだし、複窓しようかな」ということにつながりやすい。
上記のことは身内でのみ通じる作用だと思われるかもしれないが、新規のリスナーにとっても通じる作用であると思われる。
「どんな人かわからない」という第一印象から、「把握できるタレント数」「同じホロライブメンバー」というタグがあれば、安心してチャンネル登録にも結び付くだろう。
あとはパン屋のような起爆剤があれば、ほかのタレントに連動していい影響が波及していくことだろう。
まさに濡れ手に粟である。
今後ホロGTAがあるなら
繰り返し述べている通り、配信エンタメに振ろうが、ロールプレイに振ろうが、どちらにせよ正解の形である。しかしながら、タレントの意思に対して、リスナーが明確にくみ取るような措置が必要であるように思う。
今回それが不十分であったように思う。
タレントの立場からすれば「配信エンタメに振ってます」なんて言えるわけがないが、何か案があれば提案していきたい。
今回のホロGTAの参加者は一時参加も含め、JP、EN、ID、DEV_IS含めて60-70名ほどいた。
この数字について、後日談では「少なかった」とする声が内外から上がった。
個人的な感想では、今回の成功はいい意味で比較的少ない規模だったからこそうまくいったと評する。
少ない、という意見を否定するわけではない。
たしかにギャング・警察という役割に限れば人数不足は常態化していた。
(その点、最終日の半グレの扱いや、万事屋みこめっとの役割はよく考えられていると思った。どちらかが形勢不利になればどちらかにつくことができるように準備しておく、予備戦力だ。)
極端な話、ホロライブGTAに参加者が100名いれば今の利点を継続して生かしながら進行できるかと問われれば首をかしげざるを得ない。
運営はさらに大変だろうし、チームリーダーはさらに疲弊。
にじさんじ化し、ホロライブからは箱推しが消え。
力関係が顕在化し、心理的安全のなさから身動きの取れなくなる新人。
思いつくだけ、これぐらいだろうか。
さらに参加者を増やすことについては、GTAをより楽しむためにも必要かもしれないが、極端な人数増、特に外部との連携はあまり良い結果を生まないように思われる。
VCRGTAとにじさんじGTA、ホロライブGTAの性質を図式化すると以下のようになる。
←大規模、多様性
VCRGTA-にじさんじGTA-ホロライブGTA
安定性、小規模→
だが、抱えている問題や、数字の表れ方、利点難点などはVCRGTAとにじさんじGTAに相関性がみられる。
すなわち、同じ土俵だといえる。
対して、ホロライブは同じ土俵にいなかった。
規模のスケールメリットとは違い、同種の性質をもったタレントを集めることで成功した例と総括できる。(これもスケールメリットといえるかもしれないが)
パン屋のエンタメはあくまで起爆剤であり、その規模の小ささから、ホロライブは常に新規を獲得するための下地が整っているいえるかもしれない。
それを感じた1週間であった。