イラスト絵描きとイラストAIの今後
イラストの生成AIが世の注目を浴びて1〜2年が経とうとしている。
今なお反AIの意見を見ることがあることから、その業界では未だホットな主題であることがわかる。
さて、本投稿では、筆者自身コンテンツ系会社に勤める傍ら、イラストを投稿して、創作活動もしている立場から、自分なりに整理と意見を出しつつ、今後の話ができればと思う。
あえてイラストと言っているが、PC等で作成した電子イラストを指している。
これはあくまで主観なので、不快に捉えられるかもしれないが、それを留意してご笑覧賜れば。
現状
まず身も蓋もない話から言うと、イラスト生成AIの出現以降、企業が人間の絵描きを活用する機会は減ってきたし、今後も減り続けるだろう。それは自身の肌感覚で強く感じるし、指標がいくつか出ている。具体的には、最終的なマスターアップは人間の絵描きを活用するが、それまでのコンセプトアートや設定画など、「こんな感じ」のラフ段階に人間が入り込む余地は無くなりつつある。
それまで企業の正社員として雇用の余地があった企業所属のイラスト系の仕事は間違いなく減るだろう。そもそも、絵描きのネームバリューに期待して、企業は発注するわけで、それはあくまで単独契約、外注でしかない。ラフ段階を内製するとして、それをAIが代行出来るなら、それまでいた人員を整理することはあり得る話だし、身の回りではすでに起こっている。
おそらく大企業であれば多少なりともデザイナーとして雇用できるだろうが、中小規模だと環境はかなり厳しくなる。
また、有体にいうと、企業側としては絵描きはプリンターでいて欲しいという事情がある。クライアント(企業)の要望をそのまま出力することを対人間で求めた場合、それがどれだけ辟易とする作業であるかは想像に難くない。
これらの現状から、企業の経済活動という点で見た場合、「文句を言わない」「休まない」「大体思い通りに動く」という点から、つよつよPCを初期投資で用意さえすればイラストAIがコスパのいい道具であることがわかると思う。
Twitterイラストがなぜ不利なのか
まず前提として、イラストのメリットは物理的な制約に縛られない事にある。イラストを作成したらSNSなどを通して瞬時に世界中に公開できる。これまでの人類史ではあり得なかった事だ。
もう少し詳しく言うと、イラストは媒体(メディア)に依存した創作物である。近いものだと漫画もその仲間になる。例えば漫画だと、同一内容の作品が紙媒体や電子データ(PC、スマホ、タブレット)など形を変えて供給される。大きく分けて物質的な媒体と電子的な媒体で分けられるが、消費者の手に届く形にメリットデメリットが明確に存在する点以外は、基本的にはなにかしらの媒体を通じている。
イラストも漫画も電子の場合、人類の多くがなにかしらの端末を持っているという前提を踏まえ、SNSなどのプラットフォームにタダ乗りする形で作品発表の機会を得ている。また、幸運なことに、「いいね」や「RT」、「フォロワー数」のような評価の指標が存在するため、競争原理が働きやすい(これはこれで別の問題があるが)。
それらを満たした上層は企業からの依頼を受けやすくなる。すなわちイラストなどの媒体に依存した創作物はその非物質性をいかんなく発揮してきた。しかしながら、これらにも弱点は存在し、今回のイラストAIはそれを突いてきたということが現状としてある。
それは電子上で完結したデータでしかないという点だ。一般的な純美術の絵画作品のような、物質的な性質を持っていれば、干渉するには一手間かかる。もし生成AIがその領域に手出しするなら、ロボットアームと筆を用意する必要がある。面倒だしやる意味は少ない。
しかしながら、イラストはネット空間にこれまでの無限に近いデータの蓄積があり、その蓄積を摂取しつつ、出力し、電子上で完結できる。つまり、不利な戦いを人間側が強いられているという事実は変わらないし、それはより不利な形で進行するだろう。
また、人間側が不利な点として、物質性を確保して、純美術のカテゴリに含まれることで、イラストAIの侵害に対抗することもできない。
そもそもイラストは純美術にはなれない
所謂、純美術とイラストは異なる。重なる部分は多少あれど、イラストが純美術の範疇に括られることは中々ない。なぜか。
純美術(絵画を例にとる)は大体一点物で肉筆画であるいうイメージがあるだろう。それも一つの事実だ。
加えていうと、コンセプトなどの作品制作の目的、主張の有無があげられるほか、現代美術の文脈でいうとアーカイブという考え方が主流になり、思想や主義主張、感じたことなどを作品として発表するという筋道がある。
イラストはどちらかというとデザインの領域に含まれる分野だ。デザイン分野は明確に情報の「伝達」「機能」「装飾」「記号」などを取り扱う分野であるため、イラストはこれらと親和性が高い。
純美術とイラストの違いを示すならば、例えば、世界で一般的に描かれる「棒人間」がある。棒人間自体はただの記号でしかなく、線と円の組み合わせで人間に見せているだけに過ぎない。だが、これをキャンバスに描き、額縁で装丁し、大仰なコンセプトを掲げた作品が出たとしよう。これは「記号的で普遍的なただの棒人間」と同一の存在だろうか。
ここまでを整理すると以下のようになる。
1.コンセプトなどの作品を通した制作者の問題提起が必要ない。(表現する目的の違い)
2.一点物ではなく、データ上で完結しやすい。(物質的制約からの乖離)
3.イラストの性質が記号的あること。(伝達、機能、装飾等が前提としてある)
変質する創作界隈
日本の創作界隈は特殊かつ素晴らしい。
まず参入しやすいうえに消費者のスケールが多い。
また、キャリアや将来の展望に応じて、商業や同人、SNSオンリー、Skeb、Fanboxなどのサロンサービスなど、クリエイターとして多様な選択肢がある。セルフプロデュースさえ地道に行えば稼げる蓋然性はある。
しかしながら、おそらく今後大きく変質するのは消費者側のマインドだろう。
好みの絵柄のイラストがほしければAIがある。それに近づけられるようにすれば今後人間の絵描きに金を払うということが減るだろう。
理由があるとすれば、「この人でなければいけない」「サービスが良いから」「付き合い」といった非常に殺伐とした、かろうじて人情で金銭の授受があるような業界になる可能性だ。
そしてそれはイラストだけでなく、漫画や音楽なども似た道をたどるだろう。
そしてそれは想像以上に早く訪れる。
経済活動として生成AIを活用する企業が出始めたことなどを踏まえて、著作権問題などは存在し続けるだろうが、生成AIの存在が抹消されることはまずない。
行政が規制するか、消費者に不使用を促すかなどだろうが、基本的に行われる可能性は限りなく低い。
今後付き合っていく道を探る方が前向きだろうと考える。
一つ気の毒に思うのは、これまで自身に投資してきた絵描きが自分の作品を素材にされている可能性があることに加え、どこかで自分が得たかもしれない仕事を奪われているかもしれないという不安があるということだ。
また、まだ1-2年の短い期間ではあるものの、相当なインパクトを創作界隈に与えたAIの存在が認知され、常識になるということも念頭に置きたい。10年後、20年後に今と同じだけの新参者が創作界隈に参入してくれるかどうかが重要だろう。そして、それは生産者であり、消費者であることが最も望ましい。
なんのためらいもなく
「叩けば自分好みのイラスト描いてくれるんで、対人で依頼とか無駄」
という若者が出ないとは言えないだろう。
それは生産者かどうか怪しい、最悪の消費者になる可能性もある。
ただ、これまで、創作界隈は「描き手」ばかりがもてはやされる業界であり、傲慢な態度が少なからずあったことも確かだ。界隈を支えているのは間違いなく「消費者」もいたことを我々は見落としがちだったのではないだろうか。
そして、最悪の消費者が現れたとき、日本の創作界隈の縮小を意味し、オタクカルチャーの斜陽が始まる。
今後
ここまで記してきて、以下のように方向を示そうと思う。最終的には自身がどうなりたいかという欲求の話なので、個人差があることは付記しておく。
1.創作活動は趣味の範囲にとどめ、専業などは視野に入れない
2.セルフプロデュースを明確に定め、生き残りの道を探る
ほかにも選択肢があるだろうが、大筋だとこのようになる。
おそらく一番多いのは1だろう。専業でイラストを生業にするにはリスキーになることは目に見えている。
さながらタレントのようにどのように売り出すか、それに尽きるだろう。
ここまで読んでいただいた皆さんに最後に一つお話をして締めようと思う。
皆さんはスマホの登場以前の生活を覚えているだろうか。
電車で何をしていただろうか、道に迷ったらどうしただろうか、音楽はどう聴いていただろう。
生活に確かにあった作業や常識はスマホ一つで何もかも変わったことは認めなければならない。
そして、もう今ではスマホなしでは何もできないレベルにまで生活に密接に関わっている。
それを批判したいわけではない。
新しいテクノロジーが生まれるとき、新しい常識が生まれる。
今後、AIの進化と生活への関わりを考えれば、今回のイラスト生成AIは氷山の一角でしかない。
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