偶像の行方
Vtuberのはじまりをキズナアイに求めた時、すでに約8年の歳月が流れた。途中からコロナ禍という皮肉なボーナスタイムが発生して以降、Vtuberという文化が急速に醸成され、市民権を得たことは記憶に新しい。
本投稿ではホロライブの初期をざっと振り返りつつ、その時々の判断や反省、方針などを語りながら、タレントに焦点を当てて、どのような意図があって生まれ、アイドル性を獲得し、Vtuberが今後どこへ向かうのかを推察していきたい。
主にホロライブに対して論じ、にじさんじを所々比較に交えながら進行する。
所謂雑記なので、まとまっていない。
肩の力を抜いて閲覧いただければ幸いである。
以下敬称略
2017年9月-0期生-
ときのそらがデビュー。
この時、Vtuberという用語は一般的ではなく、3Dトラッキングと二次元アバターの組み合わせによるタレント活動が目的であった。
そのほか色々あるが個人的に特筆したいのは3Dモデルデビューであったことだ。
その理由として、キズナアイ自身が3Dであったこと、後続の四天王(一部四天王よりデビューが早かったのにも関わらず、なぜかときのそらは含まれない)が皆3Dを踏襲したことから、「Vtuberはすべからく3Dたるべし」というある種の常識があったように思う。
勿論ときのそらも踏襲した。だが、デビューから半年間の間に怒涛の勢いでモデルチェンジが行われたこと、衣装が真冬でも強制的に半袖など、技術的な未熟さが見え隠れしていた。
ときのそらの属性を整理すると以下のようになる。
・アイドル活動を主とする(現在進行形)
・希少な2017年デビュー組の1人かつ、Vtuber界隈の実質的な最古参
・ホロライブの最初のタレントかつ、ホロライブの語源となった(元々はときのそらをイメージキャラクターにしたアプリの名称だった)
2018年2月-もうひとりの0期生-
ときのそらデビューからおよそ半年後、待望の2人目のタレントであるロボ子さんがデビューする。
このタレントはホロライブという箱を語る上で、異例の存在の1人である。
それは3Dモデルがホロライブ(カバー)での内製ではなく、在野のクリエイターによって制作されたモデルをカバーが買い取る形でデビューした、という経緯があるためだ。
この経緯には以下の推察ができる。
・優れた3Dモデルを入手して、カバーの3D技術の向上を意図した
・3Dモデルのタレントを揃える事で、ホロライブの一体感を出すため
この時の谷郷社長の頭には「キズナアイ」という存在が強かったと思われる。また、カバーは元々VR技術の会社だった事も大きかった。動機として、3D、トラッキング技術には並々ならぬ思い入れがあった事だろう。そのため、とにかく3D重視の姿勢が見えた。
ときのそらでは不足していたyoutubeでの配信を主とした活動をロボ子さんには期待していた部分が見える。
だが、ロボ子さんデビューと同時に大きな変化がVtuber界隈に訪れてしまった。
2018年2月-衝撃-
にじさんじの始動である。
当時Vtuberは個人が活動するものという認識が強かった。
それに対して真逆のアプローチを仕掛けてきたのがにじさんじ(エニーカラー)であった。
整理すると以下のようになる。
・芸人やアイドル事務所のような「期生」のまとまりでデビューした事
・男女混合での売り出し
・一度に8名の大規模デビュー
・いずれも配信主体
そして何より3Dでは無かったことが衝撃を与えた。3Dの廉価版の技術とされていたLive2Dを主体としていた。確かに金のかかる3Dとくらべて予算を抑えられ、大規模デビューが可能になる。
タレントの規模が増えれば増えるほど、当たる(バズる)可能性が高まる。
それまでの常識を覆す衝撃だった。
ある種キズナアイからのVtuberの流れを否定する行為ですらあった。
個人の集まりではなく、「箱」というアイドル的な思想が持ち込まれた瞬間でもあった。
それだけ画期的な出来事だった。
そして、この出来事はカバーにとって今後の計画が頓挫し、方針の大規模転換が図られた事は間違いないだろう。
一気に8名のデビューという物量戦を展開してきたエニーカラーに対して、カバーは2名。金と時間を消費する上に、タレントのポテンシャルに大きく左右するということを鑑みればもはや3Dデビューであるというメリットはなくなっていた。さらに今後、エニーカラーが新人を大規模投入することは目に見えている。
その後の3Dタレントは2018年8月にデビューしたさくらみこ、11月にデビューするAZKiを最後に計画を中止する。
上記の2名は当初カバーの運営する別プロジェクトという立ち位置でのデビューであったこと、さくらみこについては1期生デビュー前からカバーと接触していた、という証言もあったことから、モデルはすでにできており、3Dを生かした可能性を探る、という方針で動画勢としてデビューした意味合いが大きいように推察できる。しかしながら、実質的なホロライブの3Dタレントはロボ子さんで途絶えたといって差し支えないだろう。
2018年6月-模倣-
ホロライブ1期生がデビュー。
上述した内容から推察できる通り、ロボ子さんまでの流れから一転、にじさんじを模倣したともいえる手法で展開する。
・Live2Dでのモデル
・複数人同時デビュー
・期生のまとまりによるグループ化
ただ少しだけにじさんじと異なっていたのは女性のみに特化したということだ。
この段階でアイドル路線というものを考え始めていたかというと、否だろう。当時から、女性タレントがウケやすいということはすでに分かっていたし、ロボ子さんまでの流れで統一感を持たせつつ、にじさんじと差別化を図ったという動機で女性特化にした、と考えた方が自然だろう。
当時、はっきり言うと、アイドルというには少し俗っぽい、下品な配信も行っていたように思うことから、タレント自身にも「女性に特化しただけのVtuber事務所」という程度の認識であっただろう。
また、すでに雨後の筍のごとくVtuberが増え始めた時期であることから、如何に尖っているかということを競い合う時代でもあったことは留意しておきたい。アイドル性はむしろ邪魔ですらあった節がある。
↓(44:50以降)
2019年-ホロライブはアイドルか-
上記動画でも触れられていたが、「周りがアイドルと言い出した」というあたりがホロライブらしいアイドルイメージへの転換点だったことがわかるが、そもそも世間的なイメージがアイドルというだけで、ホロライブは最初からアイドルであることが自己存在の本質ではないと考えるほうが自然だろう。
また、言い換えるならアイドル路線に転向したというよりはタレントにアイドル的な属性を付与し、場面によって使い分けるという見方が合理的だ。
具体的なタイミングは2019年のホロライブサマー
同年リリースのShiny Smily Story
2020年開催のhololive 1st fes. 『ノンストップ・ストーリー』
女性特化であることを生かしつつ、これまでおふざけの配信をしていたタレントたちが、全員同じ衣装を着用してのアイドルらしいキービジュアルのギャップ。これにやられたリスナーは多かったと思う。
個人的な感想になるが、この時「アイマスみたいだな」と思ったことは今でも覚えている。これでアイドル売りをしていない、というのは確かに無理がある。
また、2019年後半-2020年前半というタイミングが良かったこともある。
にじさんじでは鈴原るるがまだデビューしたての新人であったし、アイドル路線で先行していたアイドル部が空中分解し始めていた。
つまりそれらの間隙を縫う形でホロライブは需要を掘り起こし、アイドル需要を独占することに成功した。
これらにはタレントの厚みとノウハウ、運が出会ってうまく花咲いたと分析すべきだろう。
しかしながら、ホロライブはアイドルであり、アイドルがすべて、という定義は浅慮が過ぎるようにも思える。実際、IRなどでも「キャラクター」「タレント」という言い方をするが、タレントを「アイドル」と公的に発信、定義した場面は今のところ見つかってない。
過去に谷郷社長が「AKB~」と発言した件はあるが、原文を読むとホロライブを定義したわけではない。
また、hololive IDOL PROJECTという楽曲ジャンルの存在も無視できない。
hololive IDOL PROJECTは主に全体曲やユニット曲をリリースするためのジャンルで、現在進行形でリリースが継続されている。
ホロライブがアイドル事務所であるならば、hololive IDOL PROJECTは存在しなくてもよいことになる。
ここまで、非常にややこしいのだが、整理すると、ホロライブはあくまで女性特化のタレント事務所で、アイドル属性を全員に付与している。しかしながらその比重や濃度は個々人のセルフプロデュースにゆだねられており、タレントの内的な部分に依存するため、ファンが押し付けるべきではない。
現段階で言えることは、多少のグラデーションはあれど、Vtuber自体が偶像であるということは疑いようのない事実であるため、そこにアイドル性を持たせるという決断をしたことは現在の成功をみて間違っていなかった。
箱としては、最低限フェスや楽曲などでプッシュするというあたりが現状だろう。
2020年以降-箱の象徴-
どの箱にも象徴的なタレント、というものは存在する。
にじさんじであれば月ノ美兎かもしれないし、
ホロライブであればときのそらかもしれない。
なぜこのような存在が必要であるかと考えたとき、箱としてのイメージを喧伝するためのイメージをタレントに求めるためである。
だが、この2名は役割や事情が違うため、象徴としての意味合いが異なる。
月ノ美兎はどうだろうか、1期生というまとまりでデビューし、並び立つ存在がいるため、始祖というには少し弱い。
チャンネル登録者でいうとすでに後発に抜かれている。
ただ、初期にじさんじを引き上げたのは間違いなく彼女であり、彼女なしでは初期にじさんじを語ることはできない。つまり彼女はコンセプトではない部分でその席を得た人物であるといえるだろう。
厳しいことを言うと、後発に象徴の座を奪われやすい位置にいる。そして、奪われても箱の存在に与える影響はあまり大きくない。
対して、ときのそらは最初に述べた通り、ソロデビューであり、デビュー当初からアイドルであることを命題として抱えてきた人物である。
すなわち、ホロライブの歴史の体現者であり、並び立つものは存在しない。
活動としてアイドルであることの熱量はいまだに最も高い人物の一人である。
ただ、うがった見方をすると、コンセプト、活動がアイドルすぎて、事務所の方向性と合致しすぎてしまった。始祖がホロライブの方針の根拠となることで、事務所の路線がアイドルであるという存在の保証、成立をときのそらに依存しているといえるかもしれない。
そして、象徴でなくなったとき、その数字以上の損害をホロライブが負う可能性がある。
すでにチャンネル登録者や同接は後発にすでに大きく抜かされてはいるものの、全体イベントやホロライブの施策などキービジュアルとして、ときのそら以外のタレント起用することは運営の頭痛の種となるだろう。
現にこれまで、ことあるごとにときのそらを中心に据えることに対して、誰も文句がなかった。熱心なファンほど、文句はない。
なぜならときのそらはホロライブの象徴であり、その存在の保証を言外に彼女にゆだねていることの証左であるからだ。
例えときのそらを熱心に推していなくても、今のホロライブのタレントに必ずときのそらの影がある。さらに言えば、アイドル路線のVtuberであれば本人の意図に関わらず、その熱を帯びる。
その存在は数字以上に大きく気高い。
偶像の行方
カバーの谷郷社長がVtuberを生きているIPと定義したことは言いえて妙だと感じた。
キズナアイ出現後、ときのそらデビュー直後あたりまでは正直なところ、エンタメにはなっても、ビジネスにはなりにくいと感じていた。
ところが現在、ホロライブ、にじさんじは社会的な影響力を背景にビジネス展開をしている。その際にキャラクターIPビジネスとなることは当然の帰結であったと思う。
これまで、キャラクターを売りにしたビジネスは多くあれど、それらは寿命も人格もない存在であった。一見して、寿命と人格があることはIPビジネスにとっては不利に思える。
だが、寿命と人格があることは一種の生命の瑞々しさを消費者にイメージとして与える。また、配信で繋がることで単純接触効果も相まって、これまでのIPビジネスとは違う成功をした。
IPが基本的に二次元であることから、それまでのオタクカルチャーに浸透し、3次元IPが持っていた分野、特性も備えつつある。
今後いろいろな発展を期待するところだが、個人的に考えるVtuberの本質は「繋がる」というところに帰結する。
人は本能的に誰かと繋がりたいと欲している。
Vtuberは結局のところ、人や社会のもつ願望である「寄り添ってくれる存在」をあまねく人々が欲し、生み出した存在なのかもしれない。
しかしながら、Vtuberは繋がりたいと願う人にとって都合のいい存在でもない。
都合のいい存在ではないVtuberは先述したとおり、寿命があるので、いずれ活動を停止する。IPとしての価値は棄損され、企業活動から忘却される。
アイドル、象徴などと論じてきたが、最終的には属性を付与されたタレントに対して、どのように扱うかは結局のところ、今後残されるであろう側の人間たちに委ねられている。
IPとしての価値が棄損された存在になっても愛すことができることは救いであるかもしれない。
繋がることができなくなっても、愛した存在がそこに在ると信じることも苦しみを伴う推し活なのかもしれない。
その偶像を生きた人格として扱うのであるならば、の話だが。
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