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多数決にすぎない
法律も常識もマナーもモラルも、全部多数決にすぎない。
しかしそれを恨むことはない。
それが自然の摂理だから。
10人のうち9人がAさんをいじめることに賛成で、Aさん1人だけが反対なら、9対1でAさんをいじめることに決定する。
これは別にAさんが良いとか悪いとか関係なく、多数決で決まったんだから仕方ない。
Aさんは臭かったのかもしれない、弱弱しかったのかもしれない、あるいは奇麗すぎて嫉妬を買ったのかもしれない。
でもそれもどうでも良い。
もう決まったことだから。
いじめを咎めるのもやはり多数決だ。
10人の選挙ならいじめる派の勝ちだったが、100人の選挙ならいじめない派が勝った。
よってAさんはいじめてはダメで、もしいじめたらいじめた人を今度はいじめることにする。
そういうことならAさんはいじめられないということに決定する。
多数決は常に正しい。
多数決で決めたことが正しいという定義だからだ。
異端児はいじめられっ子のAさんと仲良くしようとするかもしれない。
それならその子も多数決でいじめられることに決定しても文句は言えない。
なぜなら正しくないことをしているのだから。
人は社会的な動物である前に、自然の中を生きる動物である。
コンクリート固めの道を歩き、建物の中で暮らしていても、それは変わらない。
文明を築き、法律を整えようとも、それは多数決に基づいており、実際その法律さえ限界があり、細かい所まで行き届いている訳ではない。
そこを忘れてはならない。
必要なのは、あるがままの自然の中で生きる術を身に着けること。
自分の中の良心が必ずしも生存に繋がらないならときには切り捨てること。
自分にとって意地悪に見える人がいても、それはある意味当然なこと。
森にいる動物がみんな自分の味方なわけではない。
兎がいれば捕え、クマがいれば逃げなければならない。
いちいち悲しんだり、怒ったりしなくていい。
ときに常識に迎合し、必要なときは破る。
モラルもそう。
柔軟であることが鍵な気がする。