人である限界

外気はマイナス1度。
廊下とトイレは5度。

私の寝床はトイレの近く。
上半身は5枚。下は2枚。いずれも冬用を着て眠る。
敷布団に厚手毛布2枚と電気毛布とアンカ。
起きてそのままトイレに行ける。

起床後は、厚手靴下3枚。
冬はこのようにしている。

人であることの限界を知る。
私のテーマ。

人であることの限界。
最大の限界は、言葉を使うこと。

言葉は概念である。
ものや事柄から、共通の性質を見つけて、
それに記号(言葉)を与える。
抽象という操作。

例えば、犬という言葉は、
犬なるものを示している。

しかし、犬という言葉は、
特定の犬をあらわしてはいない。

犬が示す対象は存在しない。
どこにでもいる抽象的な犬を示している。

つまり、指し示す明確な対象は、この世に存在しない。
あくまで虚像・マボロシを指し示す。

しかし、犬という言葉は有用。
人なら誰でも、意味が分かる。

犬という存在を概念や言葉だけで定義でするのは不可能。
あらゆる概念を使っても、必ず例外がある。
言葉の限界である。

例えば、数という概念。
すべての事象は基本的単位に分けられ、
1という数なら、1はどこまで行っても、時間が経過しても、1は1のまま。

いつの間にか、1が2に変わることはない。ということを前提にしている。

ところが、現実のこの世界、宇宙、
すべての事象が基本的単位から成り立つとはいえない。
事象が分割可能かどうか、それも不明。

最小な単位があるかどうかも不明。

今の科学で、小さい粒子(例えば光子)は安定していると言われている。
時間が経っても変わらないと見られている。

しかし、現代科学の限界から、
変わらないと観測されているだけかもしれない。

実は、瞬時も休むことなく、変化し続けているのかもしれない。
人間の観測技術の限界で、安定し変わらないとされているだけかも。

1がいつの間にか2に変わるようでは、
数学が成り立たない。

現在の数学が、宇宙の仕組み解明に有効であるのは、
今のところ、
数学が成り立たない事象が観測できないだけだろう。

私は思う。
宇宙の全てのものは、相互に影響しあい、
一つとして孤立したものはないだろう。

さらに言えば、すべてのものは個性がある。
そして変化しない安定したものはない。

変化しないように見えるのは、
今の科学技術では観測できないだけ。

さらに言えば、他の次元が関係してくるので、
私たちが生きる世界では観測不能となる。

つづく

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