老人の日々
希望、勇気、笑顔、若者たちの歌のテーマ。
そういえば、希望という感覚から遠ざかって何年になるだろう。
今の私には希望も感謝もない。
老人の日々は、ひたすら満足。
欲しいものが皆、手に入るのだから、
今ある状態が最高となる。
天国で楽園。
この世は所詮、縁でしょうか?
上記、Quoraの質問に回答してみた。
人が生きるのは今、この瞬間だけ。
過去も未来も生きることはできない。
過去は不明確。
未来は未定。予測不可能。
今、生きているあなた、
あなた自身について認識している範囲は限られています。
意識できるのは狭い範囲です。
勿論、あなたを取り巻く周囲の環境についても、あなたが知っている範囲は狭い。
あなたの注意が及ぶ範囲が、見ている世界。現実です。
それを踏まえた上で、あなたには多くの選択肢があります。
あなたは、常に、その中の一つを選びます。
それを縁といい。偶然ともいいます。
要するに、縁や偶然は、あなたが選んだものです。
外から与えられたものではありません。
外から与えられたように受け身に感じるのは、
あなたが自身で選んだという自覚がないからでしょう。
そして、自覚がないのは当然です。
あなたは、自分自身についても、また環境についても知っている範囲が狭いからです。
簡単に言えば、無意識に選んでいます。
この世に縁や運はありません。
あなたが今の現状を一部しか知らないからです。
選んでいることの現状を知らないからです。
何を選んでいるのかも知らない。
当然、未来も予測できません。
人である限り当たり前のことです。
それが人である限界です。
運や縁、過去と未来、そこに何かつながりがあると感じるのは、
人の知覚や認識がそう感じるようにつくられているからです。
感じるけど、実際のところ、つながりはないでしょう。
人の脳の働きは、何もないところに、あるものを見つけるのが好きです。
出来事の間に関連やつながりを見つけて、合理化したいという本能です。
脳の働きは、そのようになっています。
縁や運などはないけど、
あると思いたい、それが人です。
私も人なので、いつも思います。
何という幸運に恵まれていることだろう、と。
人としてこの世を生きることは、
苦ではないけど、あわれなことです。
障害を克服するような責務です。
ある人は、恩寵といいますが、
そのような恩義の押し売りは辞退したい。
たとえ、神や主君の恵みであっても、
私はいりません。
感謝を迫られるのはイヤです。
この世を生きるのに、感謝は不要です。
生きるという責務を果たすだけで充分です。
もし、感謝したいなら、自分の幸運さに感謝しましょう。
何故か理由不明の幸運に対してです。
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