性をお金で買うのは許されるか?
性(セックス)をお金で買うのは、道徳的に許されるだろうか?
この質問はおもしろいので、回答を考えてみます。
道徳的というのは複雑な概念なので、社会のルール(決まり事)という程度に軽く考えます。
セックス産業は、今の世界、とても繁盛している分野です。
需要が大きく、とても儲かります。
地下経済(不法な経済)がGDPの10%から20%という国際機関の調査があります。
https://www.globalnote.jp/post-3916.html
地下経済はドラッグ関連が約100兆円。
セックス関連も大きな割合を占めていると思われます。世界全体で見ると、約50兆円以上でしょう。
人身売買だけでも、世界で約1000万人の被害者がいると見られています。
日本の性風俗は、約30万人。市場規模は5兆円以上と言われています。
[木村映里]<市場規模5兆円以上の性風俗>30万人の風俗嬢が直面する「40歳の壁」
ドイツも同じくらいに盛んです。
『読み歩き、食べ歩き、一人歩き(629) 陰と闇、ドイツの性産業』
現在の世界、生活手段が乏しい貧困層が数億人います。
性の商売は儲けが大きい。安く買いたたいて、高く売るのが簡単です。
アムネスティは性産業労働者は違法ではない。と方針転換しました。
性産業労働者を守るためです。
性産業は「犯罪ではない」 アムネスティが方針表明
さて、問題は、買う方にあります。
日本の調査で、性風俗を一度体験したことがあるという男性は、40%程度らしい。
時々利用している人は10%以下のようです。
特に、中年以降の男性にとって、ストレス解消の場として、魅力があるようです。
中には、生きがいとなるという高齢者の感想も多いようです。
性風俗は、近年、多様化して、様々なものがあります。
利用者の要望に応えるために工夫しているようです。
私は、社会のルールとして、性産業は不要と思っています。
男と女は共に、同じ位にスケベです。
出会いのチャンスを増やせば、カップルをつくるのは簡単なはずです。
飾り窓のような公共の場を作るのもありです。
公共の健全娯楽施設を多数作ればいいと思います。
せめて、コミュニティに一つくらいは、温泉やカラオケや喫茶や多様な娯楽が楽しめる大型施設が必要ではないかと。
そういう施設があり、安く利用できるなら、
たやすく解決できる問題ではないかと。
性をお金で買う、ということに対して、
私の気持ちには強い抵抗があります。
男と女がイチャイチャするのに、どうしてお金が必要になるのだろう。
大事なのは、互いに相手を探す目です。
相互の相性です。引かれるものがあるかどうかです。
性をめぐっては、オスとメスが、互いに気をひこうと、
飾りや衣装や、独特な踊りや、見事な愛の巣や、
いろいろな手管で工夫しながら、相手を見つけます。
ツガイを見つけるのは、生きる上で、一番大事な事業です。
学業や出世などよりも、もっと重要な仕事です。
このような大事な仕事を、お金で解決するという
短絡的で卑怯なやり方は、私の感性では我慢できません。
もっと、苦労すべきです。楽しい苦労です。
生きるというのは、こういう苦労のためにあると、私は思っています。
道徳的に良くない、人が生を授かって生きるというめぐみを
きちんと使っていない、というのが私の結論です。