こころを読む

人のこころは読めるだろうか。

私の自慢の一つは吃音。
お陰で、心身とこころの不思議さに興味を感じた。
小説にも親しみ、人については
少し大人びた関心もあった。

こころを読めるようになるには、
切羽詰まった体験が必要かもしれない。
私の場合は、A君との付き合い。

常識では考えられない行動や感じ方。
常に、相手の気持ちを読まないと、とても危険。
何が起こるか分からない。
殺されそうになる体験も。
15年以上の体験で、私の能力が向上したようだ。

私の場合、人間観察できるのは、職場、近所、親戚、友人くらい。
しかし、いずれも、ブログには書けない。

私は、外出するとき、常に外界をきょろきょろする。
何が起こるかと楽しみ。
普通の人が見ないようなところにも注意する。

私ように観察に集中する人は少ない。
多くの人は、不用心にも内面をあらわにしている。

たぶん、誰も自分を見つめていると思っていないのだろう。
私はしっかり見ているのに。

内面が見え見えの態度や姿、
なぜ、それほど、自分をさらけ出せるのか、私にはそれが不思議。
職場の同僚も同じだが。

人は、普通、自分が何を思っているのか人には分からないと安心している。
立場が上の人ほど、そういう人が多い。
何故か安心している。

こころは誰でも弱い。
自覚していない人が多いが。
菅さんなどは、その典型だろう。

突然うつになったりする人がいるのは、そのせいだろうか。
日頃は自分のこころに気付かないのだ。

人のこころは読めるが、
自分のこころはダメ。
自分への執着がある、特別な思い込みがいっぱい。
愛憎が強い相手は、まずダメだろう。
目が曇るからだ。

人間観察は、こころを読むことだと思う。


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