私は死ぬだろうか
2020年がもうすぐ終わる。
今年は異常な年だった。
ただ、戦争ではないから、最悪ではないが。
来年は、コロナワクチンの話題でごった返すだろう。
ワクチンの有効性が発揮されるまで、半年だろうか。
オリンピックが、すれすれで間に合うかもしれない。
今年は、私にとっても記念すべき年になった。
ある悟りを得た。
「私や自分や自我がない」というのが、
わかりかけたからだ。
これで、死についての不安も、
ほぼ消えるだろう。
私が死ぬことはないからだ。
言葉・概念というものは、道具に過ぎない。
この世界、自然環境と人間社会を理解するための道具。
しかし、理解すると云えど、真実が分かるのではない。
人にとって有益で役に立つ理解の仕方。
あくまで、便法、こじつけ、巧みなごまかし、
とりあえず役に立つ道具としての理解にすぎない。
概念は、対象を完全に捉えることができない。
人にとって役に立つ像をつくることはできるが。
概念がつくる世界像は、
ある意味、現実世界と非常に酷似している。
しかし、似ているだけで、同一ではない、真実ではない。
だが、かなり役立つのは事実。
宇宙のかなたまでロケットを飛ばして、
小惑星から土を運んでくることができる。
科学技術の進歩。
これが概念を使う人間社会の成功例。
ついでに長距離ミサイルもつくれる。
世界の破壊もできる。
すばらしい技術。
環境問題もこの技術で、
少しなら解決できるかもしれない。
根本的な解決は不可能。
地球を変えるのは、人の手にあまる。
人は、地球の現実に黙って耐えるしかできない。
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