快楽と楽しみ
フランクル著作集2「死と愛」で述べている。
「人間は多様な意味において楽しみのために地上に在るのではなく、
また、快感は人間の生命に意味を与えることがないである。」(122ページ)
翻訳なので原文がどのように書いてあるのかは、不明だが、だいたいの趣旨は理解できる。
私には、非常に禁欲的態度に思える。
あの釈迦でさえ、悟りの前、享楽を経験している。
楽しみや快楽の全てが良くないわけではない。
人生は喜びや楽しみに満ちているというのが私の人生経験からの実感。
まさに、この世は天国で楽園である。
しかし、同時に、人であるという限界がある。
言葉や概念という道具しか持たない人。
自分が何者であるのかさえ、一生分からないままで生きなくてはいけない。
意識という、はかない心身の働きに運命をゆだねるしかない人の哀れさ。
天国や楽園という感じ方は、
そういう哀れな身分である人に与えられた恩寵かもしれない。
そして、死は、最後の救いとなる。
瞑想していると、
生きているという実感に強くとらえられる。
そして、私や自分や自我というものが、
いかに空しく、実体がないマボロシであることも。
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