人は成長しない
質問「私たちは幼い頃の自分と今の自分に違いがあることを「成長」という言葉で表現しますが、本当に成長しているのでしょうか」
私の回答は下記。
私や自分や自我、あるいは自己というものは、日々絶えず変化しています。
年齢と共に、大きく変わることも普通です。
自分は変わらない、いつも同じ名前、親も変わらない、
記憶の上で私は連続して連なっている、
過去から現在まで同一の人間である。
というのは、明らかに、自分をあざむく思い込みです。
そう考える方が、生活しやすい、生きやすい、生きるのに都合がいいからです。
事実は、明らかに、過去の自分と、今の自分は違います。
もし、同じ状況になっても、同じ選択はありえません。
もっと広い視野があります。知識も経験も異なる人間になっています。
もし、過去の自分の前に、今の自分が現れ、
あれこれ助言しても、過去の自分は全く受け付けないでしょう。
顔も違うし、同一人と思わないでしょう。
自分や自己が変化しているだけでなく、
自分や自己というものが、本当にあるのか、それも疑問です。
私は、ないと思っています。
例えば、私は40年以上瞑想しています。
瞑想では、思いや想念やアイデアや記憶や様々なものが現れては消えます。
それは、映画を見ているようでもあります。ストーリーはありませんが。
そのストーリーのない映画は、自分でしょうか。自分の一部かもしれませんが、
自分と言えるようなまとまりはありません。
断片のつぎはぎです。
心や私や自己という限りは、まとまりが必要、輪郭も必要です。
世界と一体になった自分と云うような、あいまいさでは自分とは言えません。
自分は世界だ。世界は自分と同じだ。これは嘘です。
私が死んでも世界は続きます。どこまでが自分か、それは不明です。
自分が何か、きっちりと把握することは、誰もできません。
釈迦やキリストにもできなかったでしょう。
なぜなら、自分はもともと存在しないからです。
しかし、自分という概念は、人として生きるとき、無くてはならない道具、
使わざるとえません。
自分や私と言われる概念です。
たとえて言えば、言葉と同じくらいに必要な道具です。
言葉もまた、実体がない道具です。
人が社会生活のためにこしらえたものです。
非常に便利がいいものです。
76年の人生経験から、
人は成長しないと、
私は思っています。
成長ではなく、その場の環境と過去経験の蓄積から、
その時にふさわしい行動をとっているだけです。
もし、人が成長するなら、
きちんとした確かなものが必要です。
例えば、魂や精神などですが、
それらはすべて、人の抱く願望や思い込みにすぎません。
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