確かさとは

瞑想すると、
この世に確かなものがない、とよく分かる。

自分の内面を見ても、
私や自分や自我を感知できない。
中身はカラッポ。

自分などは、どこにもない。
自分だけのオリジナルがない。
すべてが他からの借り物。

過去の経験は自分だけの固有だと考えても、
親や周囲の影響が圧倒的に大きい。

借り物である言葉や概念を考えると、
言葉や概念にも、確かな中身がない。
シンボル(記号)でしかない。

数学は真実だろうと思っていても、
数というのは架空の仮定。人が作った概念の一つ。

1+1=2となるには、
すべての1が等しくなくていけない。
ところが、この世に、等しいものはない。
すべての1は違うのが自然だろう。

さらに、この世では、
全ての要素や元素や単位が、
お互いに関係している。
相互にエネルギーを交換し、通信し、
影響を与え合っている。

宇宙の広がりは、数百億年光年という。
数百億年光年も離れていても、
お互いに信号を伝え合っているようだ。
まるで、一つの生命体のように。
だが、生命体ではない。

例えば、重力の法則は確かではないか。という質問。
今のところ、質量やエネルギーが何であるか、まだ分かっていない。
たぶん、質量とは何か、永遠に分からないだろう。
何故なら、決まった姿があるものではないから。

一瞬も停止することなく変化しているのが真実だろう。

人の五感が感じるのは、感じる能力があるから、
自然界の何かと五感が関係しているのは分かるが、
そこまで。

例えば、光の周波数と色には関係がある。
しかし、波とは何か、それさえも不明。

つづく

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