天使と暮らして4
親の顔が分からない
娘の発病後、東京で入院中の3ケ月間。
私は毎週、金曜午後から、日曜夕方まで、
東京へ往復した。
妻の支援と、娘のアパートの片付け。
親子は別人、性格も違う。
私は掃除好きだが、娘は苦手。
娘のアパートの掃除はおおごと。
毎週の往復が3ケ月、くたびれた。
私の体重は4kgダウン。
睡眠導入剤が必要になった。
帰宅後はおやじの介護が待つ。
3度の食事用意に家事万端。
土と日は妹が応援にきた。
娘が3ケ月で帰省、私も安心した。
帰省して最初の病院、
意識不明に近い状態が続いていた。
私たち親を認識できない。
リハビリもベッド上でしかできない。
気管切開して鼻腔チューブからの
栄養補給が続いていた。
スプーンで2ccの水の嚥下ができるようになり、
やっとのことで、自分の口を使って
食事をとることが可能になった。
自分の歯で食べ物を噛んで、
味わって食べることができるようになり、
娘の意識レベルが少しづつ高まっていった。
それから、娘は3つの病院を経て、
発病後、約1年して自宅に戻る。
入院を続けたのは、主に、リハビリのため。
しかし、娘のリハビリは、ほぼ進歩なしだった。
脳出血後の後遺症が重度。
左脳はほぼ死んでいた。
左脳にある言語野は使えない。
失語症が酷い、入院中はほぼ全失語。
読む、書く、聞く、話す。
どれも、全くできない。
笑顔もない。
うんともすんとも言わない。
ぼーっとしてテレビを眺めているだけ。
前頭葉も半分死んでいる。
だから、意欲することができない。
受け身でされるままの人形のよう。
両側の海馬もほぼやられている。
記憶ができない。
自宅に戻る前の最期の病院では、
主治医に宣告された。
リハビリは効果ないでしょう。と。
発病して半年、リハビリ専門の病院へ転院した頃から、
親が分かるようになった。
しかし、全失語は続く。
言語リハビリも全くできない。
笑顔もない。
つづく