野中さんを偲ぶ

「私は闘う」野中広務著
1996年発行

野中さんの人生を語った本である。
一読して、正直さが伝わってくる。
政治家にはめずらしい感じがした。

大正14年生まれの軍国青年。
終戦時は自決を考えたが、
上官に戦後の復興に努めよと、諭されたという。

戦後、田舎に帰省し青年団活動。
25歳で町議となる。164票を獲得。
その時から応援してくれた友人が1980年に
脳溢血で集中治療室に入ったとき、
願掛けのため、毎日80本吸っていたタバコを止めた。
それ以来、好きなタバコを吸っていないという。

33歳の時、町長になって、酒を止めた。
町には巨大な赤字(1800万円)。
一般会計の半分にあたる。
大きな部分は、料理屋への借金350万円。
町長が率先して宴会を自粛しないと、解決できない。

町長から府会議員、そして副知事。
57歳で引退して重度障害者施設で残りの人生を捧げようと思っていたら。
京都の衆議院選挙に担がれた。
前尾繁三郎さんが死去して後継者がいなかった。

平成6年、69歳のとき、自・社・さきがけの連立政権で、自治大臣となる。村山さんを支えた中心的人物のひとり。
阪神・淡路大震災、オウム真理教事件での対応が光る。

何ごとも率先して、対決する人である。
誠心誠意の生き方であったようだ。

尊敬できる先輩。
もし、身近の同胞だったら、よい友人になれるかもしれない。

2018年1月死去、享年92歳。

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