人を知るとは
いつの間にか2月、今月で75歳になる。
大きな区切り目。
次の10年、こんなにうまくはいかないだろう。
もし、生き延びることができたら、
大きな奇跡。
老人なので、
未来がいくらか見える。
まだ、死期は感じない。
瞑想しながら、
全身のエネルギーを奮い起こしている。
まだ、エネルギーが残っている。
エネルギーがカラになるときが、
私の死期。
はっきり分かるだろう。
手紙やはがきを処分している。
長い人生だが、深く知った人はいない。
妻を100とするなら、
子が50くらいか。もっと少ないか。
友人は10に満たない。
ほとんどは、1や2や3くらい。
瀬戸内晴美の本を読んでいると、
ノンフィクションが多い。
有名人の伝記。
それぞれ、詳しく調べている。
手紙類や親しい仲の人に直接当たって調べている。
本を書いている途中では、当人が乗り移るような実感があるという。
そこまで没頭すれば、いくらか見えてくるだろう。
しかし、本当のところは知るすべもないと書いている。
私は、そこまで人を調査したことがない。
表面的な付き合い。
1や2しか分からないのが当然。
まして、テレビでしか知らない人では、
ほぼ知りようがない。
例えば、安倍元首相。
本は一冊読んだが、建前しか書いていない。
どこまで本人の言葉か、それも不明。
国会の答弁なども、ほぼ自分の言葉ではない。
怒った顔だけは本物だが、
内面は不明。
たぶん、親しく付き合えば、普通の人なのだろう。
プライドは異常に高いだろう。
自分が知らない世界の人には、冷たいかもしれない。
身内には甘い。これも、普通の人並みだろう。
長い人生だが、私は、
妻以外に、知っていると云える人はない。
世の中の庶民は、こんなものだろう。