最後の救い
「死んだら終わり」と
いかにも死を知っているがごとく、
口癖を繰り返していた私の知人がいた。
その頃、死について、今ほど考えていなかったから、
何も反論できなかった。
もし、今なら、私はこう答える。
死は体験できません。
死の直前に意識を失うからです。
体験できないので、死は、人にとって、ないのと同じです。
つまり、ないものを気にして心配したり恐れたりはムダです。
人が生きるのは、今を生きること。
今が、突然に中断するのが死です。
しかし、死を前もって知ることは可能です。
前もって知ることで、こころの準備ができます。
旅行に行く準備と同じ。
まったく未知の世界への冒険。
それが死と言っても、いいかと。
わずかな期待と好奇心。
そして、今がなくなるという大きな安心です。
今を生きるのは、人にとって、いいことばかりではありません。
意識の上でしか生きられないのが人の限界。
意識は表面に漂う氷山のようなもの、深い意識下の水中は不明。
人の道具は、言葉と概念。
そして、これらも限界があります。
さらに、人は、環境と時代を超えられません。
様々な限界の中で、最善を尽くさなくてはいけません。
できることが限られています。
しかし、人に与えられた使命や責務は巨大です。
死ぬまで、誠実に忠実に応えなくてはいけない。
死で、やっと、この任務から解放されます。
人が生きるという重荷は、とても巨大。
ある意味、人類社会を背負っているのです。
もし、誠実に志しをもって生きるなら、
大変な重責となります。
死で、やっと、ほっとできるのです。
死は、まさに、ゴール。
いのちをかけた人生コースのゴールです。
ゴールのテープを切れば、
安心感から、ほっとするでしょう。
たぶん、死は人にとって、最後の救いです。