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殺意について
ここ1ヶ月程殺意に悩まされている。いきなり物騒な話で恐縮だが、今僕はある人物を殺したい程憎んでいる。別にだからどうということもないのだが今日はいよいよ本当に実行しそうになったので、その負の感情を放出する意味でも本稿を執筆している。
それにしてもどうにもおさまらないので、とりあえず手当たり次第に殺人事件の文献を読み漁ったり、様々な逆恨み殺人の記事を調べた。で、実際自分の境遇に近いような事件に自分を投影したりもした。その中で出た結論としては「殺人はしないほうがいい」ということだ。
まず第一の理由としては「殺すと遺族が可哀想」というところだ。シングルマザーの被害者が殺害された事件においてはまだ小学生の子供が事件以降学校に行けなくなったという記事も見かけ、胸が痛んだ。どれだけ当該の人物を憎んでいたとしても子供に罪はない。子供の笑顔を奪うことは避けるべきだ。
第二に、「殺したあとが相当めんどくさい」という点だ。そもそもどこまで控訴するかにもよるが、一般的に殺人事件の公判は長期化する。事件発生から判決確定まで数年単位が当たり前だ。その間も保釈金が払えなければ拘置所に勾留され続けなければならない。さらに、実際に裁判の手記なども見て、裁判官からの質問の細かさにも卒倒しそうになった。僕は過去に逮捕・送検歴があり、刑事や検事の調べ質問がどれだけネチネチしていて面倒かを知っている。そういった裁判を乗り越えたかと思いきや待っているのは懲役ロングコース(10年以上)だ。ロング囚が収監される刑務所は凶悪犯や反社の輩が多いと聞く。過酷な環境であることは間違いない。
以上の理由から、不良的な裏社会で生き抜く体力もない僕に、殺人のような凶悪犯罪は不可能だと考えた。今後も殺人に限らず、犯罪を犯すことのないように生きていきたい。
しかし、それにしても自分とこの殺人犯たちに、本質的な違いはないように思える。殺人の動機も基本的に共感できるし、いったい何が自分と違うのか。少し考えて出た結論は、「自分に矢印を向けているかどうか」だ。
全ての殺人犯の動機を聞くと、同情せざるを得ない面はあるものの、やはり最後の最後では他者に矢印が向いている。あいつのせいで、あいつがいたから、あいつのくせにバカにしやがって、などなど。つまり、一言で言って、「殺人は他者に矢印が向いた瞬間に起こる」。
自分はどうだろうか。やはり誰かに憎悪を抱いている瞬間は「他者に矢印が向いている」。そういうときに、もう一度自分に矢印を向けられるかどうか。自戒を込めて、ここに書き記しておきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。