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little black dress 書籍収録作品試し読み

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2024年夏に頒布予定の架空のジャズバンドlittle black dressの小説同人誌『Diamonds Are a Girl's Best Friend』に収録する作品の試…
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記事一覧

【試読】lntroduction At Tokyo

「チョクリツエンジンです」  宙を差してそう言われ、何のことだかまったくわからなかった。 「まっすぐ立つ猿人。直立猿人。いま流れている曲の邦題です」  きいたこともない国に籍を置くその男は、今まで出会ってきたどんなルーツの人間とも雰囲気が違った。芝居がかっているように見えるが「トーキョーにはなんだか親しみを感じます」と人好きのする笑みを浮かべている。  和モダンとでも言うべきか、黒を基調にした少々お上品な居酒屋を接待の場に選んだ。その店内でいま流れているのが直立猿人らしい。

【試読】Moanin’

 まず家賃と食費の心配をした。解雇されると思った。  オフィスのエレベーターで、キャラウェイ氏とふたりきりになっただけで緊張した。フィッツジェラルド・カンパニーの稼ぎ頭にして要注意人物と名高い、ワーカホリックのプロデューサー。  彼が降りる階に到着し、開くボタンを押したまま微笑みを浮かべる。それでやりすごせるはずだった。 「これ、君だろう」  なんでこの人、わたしがジャケ写になってるCD持ってるの?  その手のアングラマニア界隈でも、入手困難と目されるファーストアルバム

【試読】Misty

「娘ができたら、つけたい名前があったんだよ」  実父とサシで会うのは、いつでもこのダイナーだった。  ひと月後にこの店は潰れ、洒落たサラダの専門店ができるらしい。カロリーかアルコールを客の口に押し込むしか芸のない、この店のことがそれなりに好きだったのに。まあ、チェーン店だからどこにでもあるんだけど。 「参考までに聞いといてやろうか」  アホみたいにホイップクリームとストリベリーソースが乗った、肌荒れ製造に特化したパイを崩しながら言う。店のBGMは、相も変わらずビートルズとか

【試読】The Entertainer

「ピアニストは3人来るけど、俺はあんたのがいちばん好きだな」  ホテル最上階のラウンジは私の職場のひとつで、演奏を終えてからバーカウンターでぼんやり夜景を眺めるのがささやかな楽しみだった。働いたあとの1杯は福利厚生に含まれていて、よく冷えた白ワインをひとりで静かに舐める。  スタッフやバーテンとは、業務連絡を除いては無愛想にならない程度の言葉しか交わさない。常時数人のピアニストを雇用しているが、入れ替わりが激しく、もっとも長く安定しているのが私らしい。従業員として扱いやすい

【試読】Diamonds Are a Girl's Best Friend

 一発屋量産機。  業界での俺の渾名だ。  まったくそのとおりなので、名刺に刷って配りたい。誰もかれもが俺の引導による瞬間的爆発力を求めて手を伸べる。引っ掴んで華やかな舞台に押し上げる、ああ綺麗だなと思う、その時には俺の仕事はもう終わっている。  継続して面倒を見てやる脳はない。信じられない理由かもしれないが、弊社ではまかり通るのではっきり言わせてもらう。  だって飽きちゃうんだよ。俺は良いプロデューサーでも良いマネージャーでもない。  人々の欲望を、羨望を、渇望をこれで