【小説】ラヴァーズロック2世 #32「泉=池塘=すり鉢池」
泉=池塘=すり鉢池
かれは窓の前に立ち、ガラス越しに外を眺めている。いや、見下ろしているといったほうが正しいだろうか。その家は崖の上にあり、眼下には人工池が広がっているからだ。
陽光の祝福をたっぷりと受けた池水は生暖かく、アメンボが水面にいくつもの波紋を広げている。
草が青々と生い茂った池のふちを歩けば、驚いた赤ガエルが次々と水へ飛び込むことだろう。
かれは今まで生きてきた経験を総動員して、手の届かない景色の中をさらに散策しようとする。
が、突然日常を切り裂くような閃光が走り、一瞬目の前が真っ白になる。
大変なことが起こったことはわかるが、物音は全くしない。
視力が回復するのに、ちょっとだけ時間を要する。
こすった眼に最初に飛び込んできたのは何と、キノコ雲。
崖下の池から立ち上っているようだ。
そうか、とうとうやってしまったか……。
こんなに近くにいるのに、何故だかかれは大丈夫だと思っている。窓ガラスがあるから安心だ、くらいの感覚なのだ。
キノコ雲が見れているということは、自分がまだこの世界から消滅していない証拠じゃないか……。
続いて今度は、猛烈な勢いで雪が降り始める。
その量はすさまじく、窓からの景色が見えなくなるほど。
ここで初めて、かれは後ずさりをする。
すると次の瞬間、雪は嘘みたいにぱったりと止んでしまう。
あまりにも唐突で目まぐるしい展開に、いっそのこと早く終わってほしいと願う。
が、それと同時に、これはもう世界の終わりなのではないのか、とハッとする。
動くものは何もない、辺り一面、白い雪景色が広がっているだけ。
小鳥たちは表舞台から追いやられ、普段なら聞こえる自然音も、降り積もった雪に吸収されてしまったようだ。
全てが静止した無音の世界……死に最も近い世界。
すると、敏感になった耳が音を探し始める。
この研ぎ澄まされた感覚のせいで、普段なら気づかないような微かな気配を感じ取ることができるかもしれない。
冷たい雪に紛れてうごめく、生暖かい生き物の気配。遠いような……近いような……。自分の足元から聞こえてくるような。くぐもった……何かを叩く音。妙に規則的で、遠くから段々と近づいてくるような……。
階段をリズミカルに駆け上がる涼音。
ノックもせずに部屋のドアを勢いよく開ける。
ベッドの上の掛け布団は、中央がちょうど人ひとりぶん膨らんでいる。
涼音は助走をつけ、華麗に宙を舞う。
肘、肩、脇腹、臀部が同時に着地する、美しいほどに理想的なジャンピング・エルボー・ドロップ。
今までに出したことのないうめき声が、ロックの口から漏れ出てしまう。
「ついに繋がりましたよ。何に? 地獄に。地獄? そうジ・ゴ・クに……」
右ひじに体重をかけたままの体勢で、抑揚をつけずにささやく涼音。
そしてすぐに裏庭に来るように、と言い残し部屋を出ていってしまう。
確か、庭に〈泉〉が湧いた、とか何とかいってたような気がするが……。
ロックは布団の中で目をこする。
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