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『ファラオの密室』著者がエジプトの発掘現場に行ってみた 〜 白川尚史のエジプト旅行記 #01

0日目: 開幕0回戦敗退

「今日、飛行機は飛びません」

成田空港のチェックインカウンターで、無情にも突きつけられた一言に、私は動揺を隠せなかった。
2024年9月15日。午後八時半発のカイロ行きの飛行機は、飛ばなかった。eスポーツでいうところの、0回戦敗退(現地にすらたどり着けないこと)である。

時刻は既に六時を回っていて、本来であれば二時間後には出発しているはずだった。聞くところによると、直前で機材トラブルが見つかったという。幸いにも欠航にはならず、翌日の正午に改めて出発予定らしい。

しかし、飛ばないものはしょうがない。というか、機材トラブルが見つからないまま飛んでしまうよりよほどいい。というわけで、私のエジプト渡航は初日にして予定順延となってしまった。

なお、今回利用するのは EGYPTAIR。私の知る限り唯一、成田 ⇔ カイロの直行便を持っている航空会社だ(ちなみに、この旅を通して、EGYPTAIR では色々と面白いことが起こるのだが、このときの私は知る由もなかった)。

一応、日付をまたぐ変更ということで、成田空港至近のホテルの宿泊券を頂いた。大変ありがたいことである。が、私は仕事がやりかけで心残りだったこともあり、一時間半かけて家に帰り、翌朝出直すことにした。

ところで、そもそもなぜ私はエジプトに行くことになったのか。
私は第22回「このミステリーがすごい!」大賞に、古代エジプトを舞台にした作品を応募し、受賞したことで小説家デビューした。

時は紀元前14世紀、場所はエジプト、日本人は一切出てこない、歴代のこのミス大賞と比べてもかなりの異色作である。

実は、もともと私はエジプトのことを何一つ知らず、小説を書くため必死に調べたのだが…。
その調査を通じて感じたのが、古代エジプトは、まだまだ未知の分野が多く、研究の広がりがある分野だということである。

有名な話でいえば、かのピラミッドの上方の石をどうやって積み上げたのかすら、様々な学説があり未だ答えは出ていない。1〜2 トンの重さがある石を人力だけで引き上げるには、上方まで続く斜面なり、仮設の足場なりといった、何らかの力学的な仕掛けが必要であろう(別の遺跡では、日干しレンガでできた仮設の足場が撤去されないまま残されていて、おそらくこの足場を使ったのだろう、と推測できるような例もあった)。
あれだけパピルスや石板で史料が残っているのだから、指示書や設計書、建設途中のスケッチみたいなものがどこか一つくらい残っていてもいいように思うのだが、正確な答えを知っている人は、今のところいないのである。

ところで人は、というか少なくとも私は、学校で歴史の教科書というものを読んだ際に、過去のことはだいたいわかっていて、確定した事実がそこに書いてあるかのように感じてしまう。例えば、”織田信長は1582年に本能寺で、明智光秀によって暗殺された”といったことは、ほとんどの人が事実だと考えていると思う。
しかし実際には、特に古代の歴史というものは、研究の積み重ねによって薄皮が一枚ずつ剥かれるように明らかになっていくもので、今なお論文によって学説を発表し、その確からしさを検証されているものである。その中で新たな史料が見つかり、主流だった学説がひっくり返されるようなことも時にはある。
実際、鎌倉幕府の成立を1192年と覚えている人は多かっただろう。私もそうだ。しかし近年、1185年に既に幕府は成立していた、と考える論の方が主のようである。それもまた、研究が進み、1185年説を主張する根拠というものが積み重なっていったことで、主流の学説が変化した例といえよう(なお、私は専門家ではないので、どちらが正しいか判断はできない。研究が進めば歴史認識は変わりうる、ということがいいたいのである)。

ただ、史料を集めるには、相応の困難が伴う。特に砂漠の真ん中で、大量の砂や巨石の下に遺跡が埋もれているときには。重機もろくに使えない不安定な足場で、崩落の危険と隣合わせになりながら、繊細な史料を少しずつ掘り起こしていくような、慎重かつ根気強い作業が求められる。
私は今回、実際の発掘現場を拝見する大変貴重な機会を頂いたが、そこでは大いなる情熱と発見の喜びの裏に、精神的、物理的、そして経済的に多大な努力と困難も感じ取れた。

私は弁理士でもあるのだが、そのせいか知的財産というものに敏感であり、本能的にフリーライドやそれに類する行為を忌避している。そして今回、歴史を調べれば調べるほど、古代の歴史を明らかにする営みに対して、一方的に恩恵を享受するだけでは申し訳なく、敬意や謝意を実際に行為で示さねば、という思いが強くなっていった。
そこで、小説を書くことで得られた賞金を、なんとか研究活動に還元したいという気持ちに駆られた。「このミス」大賞の場合、賞金は1200万円もあるので(すごい!)、賞金の全額をエジプト研究をされている各機関に分割して寄付することにした。

そのようなご縁もあって、今回、私のような人間を発掘現場にお招き頂いたのである。

一日目:カイロへ向けて飛ぶ

翌朝、再び家を出て、成田へと向かう。遅延のおかげで一日予備日ができたので、足りないものを調達することにした。
実は、今回の旅で必須であろうサングラスが見あたらなかったので、買わねばならなかった。あとは、有識者から「薄手の長袖があるといい」という話を聞いていたので、ユニクロへ向かうことにした。
これが大正解で、ユニクロには私の求めているもの全てがあった。UVカットの薄手の速乾パーカー、UVカットの帽子、UVカットのサングラス。普段服を買わないので、薄手のスラックスまで買ってしまった。
これから海外だというのにこんなに荷物を増やしていいのだろうか? と思うくらいに洋服を買い込んで、荷物検査を抜けた後、ラウンジに向かう。
EGYPTAIR はスターアライアンス(ANAも入っている航空連合)に加盟しているので、スターアライアンスのラウンジが使える。入ってみたところ、綺麗で広く、カレーが美味しそうだった。しかし、12時の飛行機だと出発直後に機内食が出るだろうので、お腹は空けておいた。

搭乗時間が近づいてきたので、本屋へと向かう。出発前、これから向かう地に思いを馳せながら、そのときの気分で小説を調達するのも旅の醍醐味だ。
特に文庫だと旅行先に置いてきてもいいし…と思うのだが、結局読み返したくなり、それが実現することは稀である。今回は下記の三冊、東野圭吾先生の『マスカレード・ホテル』、佐藤正午先生の『ジャンプ』、坂木司先生の『ショートケーキ。』を買っていったが、どれも本当に面白かった。

ともあれ文庫を仕入れた私は搭乗口へ向かった。12:00発なのに、11:50になってもゲートが開かないので多少焦ったが、無事に搭乗が始まり、なんとか飛ぶようなので安堵する。
今回はビジネスクラスを利用したが、座席は1-2-1 ではなく 2-3-2 のタイプで、座席が斜めではなく並行になっているタイプである(伝わるかな)。幸いフルフラットにはなるので不便はなかったのだが、同じビジネスなのにちょっと損した気分になるのは私だけだろうか…。

出発前、安全のしおり的な映像が流れるが、ここでもオベリスクやヒエログリフが刻まれた美術品が出てきて、エジプトへの期待が高まっていく。そして飛行機は出発し、十四時間の空の旅が始まった。小さい頃は飛行機の長旅を嫌ったものだったが、海外出張に慣れた身では、もはやなにも思わない。ネットが遮断されてたくさん本が読めて嬉しい、と感じるほどである。ビジネスであればなおさらで、最悪寝ていれば着く。
しかし今回は、出発直後にミステリーな状況が発生した。昼過ぎに機内食の提供があった後、突然機内灯が落とされ、周囲が真っ暗になったのだ。今までの経験上、出発地または到着地が夜の時間帯に機内を暗くすることは珍しくないが、日本時間は午後二時、エジプト時間は朝の八時なので、どちらにしてもいま暗くなるのは妙である。

そして、先程説明した座席の並行配置のせいで、読書灯をつけると周囲に迷惑であった。斜め配置ならば、自分以外にはほとんど光が漏れないのだが。まあ文句を言っても仕方ないので、周りと同様に横になる。秒で寝る。
気がつくとフライトは残り三時間になっていた。九時間近く寝ていたようだ。更に少し経つと周囲が明るくなり、二食目の機内食としてオムレツが提供される。

このオムレツがきっかけで、私は一つの仮説を組み立てることができた。この機はおそらく、出発時刻が変更になった際に、機内食の積み替えをしなかったのではないだろうか。結果、夜発、朝着の夕食+朝食という組み合わせがそのまま変わらず、つまり我々はオムレツを朝食として食わされるために無理やり寝かされたのではないだろうか。
あるいはこの予想は的外れで、EGYPTAIRは最初と最後の二時間以外は暗くするのが流儀なのかもしれない。
とにかく九時間近く眠った私は、カイロ空港へ降り立った。現地の時刻は十九時半。普通に考えると時差ボケ一直線である。

なにはともあれ、エジプトに着いた。そして、色々な噂を聞くカイロ国際空港だ。事前にいろんな方のブログを読んだところ、「個人的に、今まで行った空港の中で最悪」だとか、「荷物検査で遠回しにチップを要求された」だとか、「タクシーに乗せるためにバスは来ないと嘘をつかれた」だとか、いろいろなことが書いてあった。しかし私の経験と印象では、特にそのように感じる場所ではなかった。他の海外の空港と比べても、遜色ないというか、特別悪い印象は抱かなかった。もちろん旅というものは色々な人が色々な経験をするのだろうが、事前情報だけで知ったように思ってしまうのも危険である。
ただ、出発前の私はとても用心していたので、あらかじめホテルへの送迎を頼んでおいた。今回最初の二泊はシェラトン・カイロ ホテル&カジノで予約しており、ホテルのスタッフが入国審査よりも前まで迎えに来てくれるものである。

空港で出迎えてくれた職員はとても親切で、私は何の苦労もなく空港を出ることができた(ビザを持っていない人は、現金二十五ドルを忘れずに。エジプトではこれでビザが買える)。
そして空港の駐車場からホテル行きの車に乗ったのだが、ここからは正直ちょっときつかった。運転手はホテルの職員ではなく、契約ドライバーのようで、道中で個人的なツアーを勧められたり、チップを高額にするよう面と向かってねだられたりした。放っておいても、危険もないし危害も加えられないのだが、カイロ空港からカイロ市内までは一時間弱の道のりなので、この間セールストークを躱し続けるというのも中々しんどいものがある。別の機会に Uber や DiDiにも乗ったが、そちらのドライバーの方がよほどさっぱりした人たちだった。もちろん、時と場合によるというか、誰が来るか次第なのだろうけど。
そんなわけで疲れつつホテルに着いたあとは、マリオット系列の五つ星ホテルということで、安心してサービスを受けられた。

そんなわけでカイロの最初の宿に無事到着した私は、翌日の待望の発掘現場の見学、そして、ギザの大ピラミッドの観光に向けて、なんとか寝ようとベッドに潜り込む。
時差ボケのおそれは杞憂で、ここでも私は秒で寝た。昼の九時間睡眠などものともせず、翌朝まで寝こけたのであった。


残念ながら、発掘現場に関しては、まだ未発表の発見も含まれうるため、詳細には書けないのだが、二日目以降は現在のエジプトの様子などについて述べていきたい。
特にエジプトでは、ここ数年で大きな変化があったようである。一つはコロナ後のインフレであり、もう一つはインフラ整備の重視だ。これらを語るうえで、エジプトで出会った人々が現政権の政策についてどのように考えているかについても述べていきたい。

つづく

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