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組織風土改革日報№.1_ジリツブンサンガタ、、ソシキ?
皆さん初めまして。キタと申します。
このコンテンツは、企業で働くおっさんの、心に隠した汗と涙の物語です。
様々な思いを抱え、40歳にしてキャリアコンサルタントとして生きよう!と決断。
10年蓄積したプロセスエンジニアとしてのキャリアを放り投げ、比較的大規模(1000~2000人の所帯感)の製造現場における組織風土改革業務であくせくする姿を、俯瞰してあざ笑って頂けますと幸いです。
※日報とは言いつつも、不定期発信です。。便宜上ね、便宜上♡
時には笑い、時には涙する。そんな感情の抑揚をひた隠し、タスクと気付きに向き合う日々。そこで巻き起こる単純明快な上下関係と、複雑な同僚との交流を、真面目にアウトプットして参りたいと思います。
今回は、初日報という事で、私自身や、コンテンツについて記してまいります。
宜しく致します。
①私のプロフィール
氏名:北陽一
生年月日:1981年1月生
年齢:41歳(2022年6月時点)
見た目:ヤギ似
家族構成:妻と娘の3人暮らし
職歴:フォークリフトメーカー → アパレル販売 → 現職
(2022年3月から副業で起業)
現職:某電子部品メーカー(本業)
ワークライフキャリアサポート S.REACH代表(副業)
職務内容:組織風土改革、キャリア支援、コーチング講師
資格:国家資格キャリアコンサルタント(JCDA)
コーチングプロフェッショナル
メンタル心理カウンセラー ※
価値観:人の笑顔を見る事。(私の行動原理)
好きなもの:筋トレ、人との交流、お寿司、笑顔
嫌いなもの:高圧、威圧、決めつけ、酒粕
Noteレベル:スライムにギリ勝てるくらい
とまぁ、書くには書いたが、やっぱりただのおじさんです。
最終学歴は高卒。若い頃はフラフラ。別にODとか学んでもいない。
唯一の自慢はIQ138。だけどそれを活かした経験はない。とにかく自慢するだけの数値。その後のエピソードもない。こうなってくると、ただ冷静に自虐している気がしてきました。
こんな人です。伝われ!人となり!
②人材エンジニアへの転身
5年程前を振り返る。
私が36~7歳の頃、技術職として電子部品の工法開発に、脳みそをフル回転させる毎日。
有難い事に、仕事振りを一定認められ、社内での評価もそこそこ高かった様に思う。職能制度上の昇級は、周囲と相対比較し早い上昇でもあった。
良い上司や仲間の存在もあった。
ただ、
製造現場の技術職は不思議なもので、難しく複雑な職務だと、自他ともに理解しているにも関わらず、それが『当たり前だよね。エンジニアなんだしさ』
とまぁ、なんとも自己肯定感を保ち辛い状況にあるなぁとは感じていた。
(多くのエンジニアは共感頂けるのではないでしょうか。)
当時の私は、自分にこう言い聞かせていた。
・私は優秀じゃなければいけない。
・私は正解を言わなければいけない。
・現場を信用せず、全て私が完璧にこなさないといけない。
今になって思えば、高慢以外の何者でもない。
ただ当時はそれが私の世界だった。
(世の中そんなもの。まーその内昇進して、偉くなって、お金沢山もらえればいいや。頑張ろ。。)
そんな私に、現在キャリアの終止符を打とう、というアイデアが沸き起こる。
私が主担当の改善案件に問題が発覚し、かなり大事になってしまったのだ。
いつもなら改善プランを考え、仮説立て評価し、リカバー条件を導き出して、サッサと直してしまえばいいや。といった所だが、毎日数時間もナゼこうなった?どうやってフォローするんだ?という会議に呼ばれ、その度に吊るし上げられ、正解を求められ、喋れば反対され。。。
その内に耳鳴りと動悸と意識が遠くなる症状が出始めた。
表情筋に強張りを感じ、笑えなくなった。
左目も、警報だぜ!と言わんばかりに激しく痙攣した。
結果は不安障害。
プライベートをある程度犠牲にし、何年も1日の半分以上を注いできた職場に対して、なんだか裏切られた気持ちにもなった。
周囲のメンバーも、配慮という幕の後ろ側に下がってしまった。
少しだけ同情してほしくて、頼もしく感じていた他部門の先輩に話してみた。
『全部お前が悪い。』と言われた。
3日ほど会社を休んだ。
上司は心配するフリをしてくれた。本当は何やってんねん。と言いたかった事だろう。
でも、なんだかそれが嬉しかった。
その時に得た、『俺って、これじゃないなぁ』という感覚。
職場で偉くなるための手段として、エンジニアという立場を利用していたことに気付く。
本当はもっとやりたい事があるばす。
だってもともと私は
・自分が優秀だと思ってもないし。
・自分が正解を言えると思ってないし。
・人に助けてもらって、皆で完璧に向かって努力してるだけだし。
上司のフォローで、課内異動を発令頂き、問題を起こした工程と距離を置いた事で、少しだけ自分を取り戻したが、それでも『会社を辞める』というアイデアは引っ込みが付かなくなっていた。
そこから本当の自分を求める中で『対人支援』と出会い、コーチングを貪る様に学習する。
これかもしれない。
私は優秀でもないし、正解も持ってない。でもそれは皆同じ。だったらそんな人を支えていけばいいんじゃないの!?
少しだけ希望を感じた。
そんなコーチング漬けのある日、キャリアコンサルタントの存在を知る。
60分という時間で私が何を大切にしているかを、一緒に探してくれるというのだ。
こちとらコーチングを学んでいる身だ。ショボい関わりならお断りだぜ!と、心の中でワクワクとドキドキを同時発露させて予約ボタンを押した。
当日、指定された場所に向かうと、身綺麗な御姉様が現れた。
『北さんですね。こんにちは、キャリアコンサルタントの○○です。』
名前は覚えられなかった。緊張していたんだろう。
『あ、ああ、どうぞ宜しくお願い致します。北と申します。』
ハノ字に据え付けられた椅子に座り、セッションが始まった。
とても優しい時間だった。
自分探しに集中できるよう、最大限の配慮と、私に向けられた好意的関心。気持ちがよかった。
存分に過去の経験を語った。
中学では漫才師になりたかった事。高校ではバンドばかりやっていた事。職場での役割や苦しかった経験。幼児の頃は、観音開き型テレビ台の中に入る事が好きだった事まで。
思えば最中ずっと笑顔だったと思う。
ふいにキャリコンのある問いかけで、脊髄に電気が走った。
『北さんは何に幸せを感じるのですか?』
口から言葉があふれ出た。
『人の笑顔を見ると幸せを感じるのかもしれない。』
そして、私は覚醒した。
本当に覚醒したのである。
これまでの人生における自分の思考行動、何故悩んでいたのか。1本の線で結ばれ、自分の人生に意味を感じた。
そうやって私はキャリアコンサルタントの道を歩き出した。
話はこれで終わらない。覚醒した私の勢いは誰にも止められないのだ。
当時プロセスエンジニアを続けていた私には、組織上の係長が居り、課長が居たわけだが、そこを一切無視して、製造部へのキャリアコンサルタント導入企画書をまとめ、部長に提出した。
製造部はヨコヤリナカヌキはルール違反。
我ながら危ない橋だと今になって振り返るが、
私のような会社の犠牲者を一人も出してはいけない。そんな使命感もあったと思う。
既にマインドは、会社の一人ではなく、社会の一人だった。
(どうせ会社を辞めるんだ。キャリアコンサルタントになって独立するんだし、受け取ってもらえないなら、辞めるまでよ❕)
『北凄いな。これ一人でまとめたのか?』
えぇ、そうです。
『うーん。これはちょっと受け取れないな。製造機能とは違いすぎる。』
そりゃそうだよな。
『だけど、必要なのはわかる。』
え?そうなの?
『来期から自律分散型組織の企画を動かすんだけど、リーダーやる?』
・・・
ジリツブンサンガタ、、ソシキ?
0.5秒ほど考えて、
『やらせて下さい!』
頭は真っ白だったが、脳の扁桃体あたりが熱くなるような感覚があり、気付けば心からコミットしていた。
会社を辞めるというアイデアも、自分の中に引っ込んでいた。
こうしてプロセスエンジニアから人材エンジニアへと転身に至ったのである。
そして悪戦苦闘の組織風土改革者というストーリーが始まった。
日報②に続く。。