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みんなちがって、みんないい。

わたしが両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥はわたしのように、
地面をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴はわたしのように、
たくさんなうたは知らないよ。

鈴と、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

金子みすゞさんの詩。
これに出会った当時は金子みすゞさんの
詩集を読み漁った。(他のはあんまり覚えてないけど)

小学生の時に一度はそう習ったはずなのに
(今の小学生が習うんだろうか?)
義務教育でも社会に出てからも順応し、
周りと同じでいることを
求められているような気がしていた。

いつでも変えが効くんだなとゆう
不安やいかに自分を価値のあるものに
見せるかという毎日気の休まらない生活が
今、一変して仕事の無い不安と戦う。
私も結局その歯車的生活に埋もれている
ことに気付いた。
気付いたところでどうするのか何て
答えが出るわけもなく

「目の前に広がる あてどない膨大な時間に足がすくむ…」(蟲師の何話かに出てくる)
ってな感じで正直気持ちは落ち込んでいる。

そうしている今も時代の変化はずっと起きていて
置いていかれてるのは
自分なんじゃあないかと感じる。
世の中の成功者あるいは
私が憧れている人達は既に個性を活かして
そして認められている。
私には何が出来るだろうか?
せいぜい今出来ることは他人の作ったものを
切り取って自由に貼り付けて作ることぐらいか。
そんな自分をニセモノと思っていた。
とてもじゃないが愛せなかった。
金子みすゞの詩は私の何処かに隠れて見えなくなっていた。
というより私には何もない。
とても凡庸だと思い込んでしまっていたんだろう。

2020年は自己肯定感を高めようと
満たしてくれる人とお別れした。
それでも私は狡いので全部は無理だったw
少しの時間だったが自分と向き合う時間を
作ることが出来たことで少し変わった。
まずは自分を認めてあげようと
思えるようになった。
嫉妬ではなく、憧れと考えることが出来るようになった。
ニセモノと思っていた自分は
人と交わりたいと思っている自分との
出逢いになった。

恋愛の中では上手く溶け込むことが
出来ていたように思う。
結果として自己肯定感を満たしてくれるところが
好きだったのだが、。
その人の個性に溶けてまた
新しい私になっていたことは間違いない。
彼ら、彼女らは(私は性別は関係ないタイプ)
今も私の中で色濃く生きていたりする。
誰もまだ死んでないけど。
そうした経験をこれからは恋愛以外でも
活かせたらいいなと感じる。

もっとヒトと交わりたい。

話が二転三転して何が言いたいのか
わからないというか私は何もかもを
言いたいと思っている欲張りだなと思う。

もっと楽に生きろよ自分。
チカラ抜いて色んなことを感じて生きよう。
人生の体感時間がすごく短くなったと
感じているけどそれは
新しいことを見逃しているだけじゃないか?
新しいことだらけの世界から
離れているのは自分じゃないのか?
そんなことを自分に問いながら
目の前にある人生を楽しんで欲しい。

他人自分も認めて緩める。

なぜならみんなちがって、みんないいんだから。

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