何故かしらあなたが

★今回は突発でいつもと違うネタのエッセイ★

まりなが幼稚園生で、まだ弟のユイトも生まれていない頃、家族でのドライブは決まってサザンが流れていた。行き先が母の実家の茅ヶ崎だったからだろうか。
「ママ、じーじのお家、いつ着くの?」
「いま平塚だからもう少し!」
そんな会話のBGMはいつも『チャコの海岸物語』や『いなせなロコモーション』であった。
そんな環境で育ち、まりなは筋金入りのサザンファンになった。小4の時、クラスで書いた七夕の短冊に「本物の桑田佳祐さんに会えますように!」と書いて担任に失笑されたほどの。

まりなが中3のときに家族で父の故郷の青森へ車で帰ることになった。しばらくは父の運転なのでクラシックオンリー。
我が家にはドライバーが車内のBGMを決める、というルールが存在し、クラシック好きな父のターンでサザンは登場しない。
車中泊のため盛岡の手前ぐらいで車を停め
翌朝ようやく母と交代すると、まりなはサザン!と母の決定権を乱用しようとする。ちなみにまりなが小学生になって生まれたユイトは素知らぬ顔で、家を出てからずっと、ゆずや湘南乃風を姉のお下がりのiPodで聞きふけっている。母がじゃあ好きなのかけて、というので、すかさずカーナビに入れてあった『ステレオ太陽族』をかける。昔のアルバムはあまり開拓したことがなかったので、初めてだ。

流れ始めると父が「懐かしい!中学ん時、村上がLP貸してくれたっけ」と声を弾ませる。すると母も「あー、私は確か従姉が貸してくれてまだ実家にカセットあると思うよ!」と応じる。この2人、普段見ている景色や共有している前提が違いすぎるので、こんなに会話が弾まない。そのきっかけがサザンであることが不思議で、何故かまりなは自分の知らぬ在りし日の両親に思いを馳せる。そして、大好きな『オトナ帝国』の終盤のひろしが記憶を取り戻し、子供時代からみさえと出会い、しんのすけとひまわりの父親になるまでの経過のカットをうっすらと、思い浮かべる。うちの父とひろしは、父親としてあまりに性質が違う。そう言えばひろしも秋田出身で東北からの上京組だ。関東のベッドタウンに住んでるところも一緒。

そんなことを考えていると、いよいよ青森県に差し掛かる。しばらく走ると父は思い出話に興じつつ「この辺懐かしい!!中学見てってもいい?」などと言い出す。晴れた休日の早朝に見る誰もいない中学校は、がらんとしてはいても、夜に見る不気味な校舎とは違う。
そしてまりなは思わず、中学生の父が友人にレコードを手渡されるシーンを想像する。これは、父への愛というよりも、あれだけ趣味嗜好が違う父が中学生のときサザンを聞いていた意外性、である。いつもクラシックと三島由紀夫の話しかせず、エンジニアという仕事柄、ガリレオを見ると湯川先生の研究室に書いてある式と同じ式を母の英語教室のホワイトボードに書き始める奇人が?という驚きだ。サザンが好きな普通の中学生だったんかい!!だったら子供たちが楽しんでいるものも、もっと尊重してくれよ…と、心の中で言ってみた。普段父は妻や子どもたちが楽しんでいるものにはとことん無関心で、何ならつまらない、と貶してすら来る。何が基準かわからない…ますますまりなは、父がわからずひとりごちる。

しかし、時を経て同じものを聞いても楽しめることは、不思議だ。何かを表現して生き、誰の目にも明らかな優れた才能を持つ人は、時を超えて人を楽しませたり、元気にする事ができるのだろう。それって凄いことなのではないか。
自分がそんなことをできるとは毛頭思わないけれど、まりなはエンタメに、こうして惹かれていった。

中学の前を通ると満足したらしい父は、母に実家までの近道を教えている。父の実家にはお年玉ならぬお盆玉という文化があり(お正月に加えて、お盆の帰省でも、お年玉相当額が親戚からもらえるのだ)まりなとユイトにとっては、稼ぎ時の青森のお盆が始まる。