オリンピックイヤーで思い出したこと。

オリンピック、唯一楽しみにしていた女子バレーが呆気なく終わった。古賀紗理那選手、お疲れ様でした。古賀選手と同世代の私が小学生の頃、唯一スポーツでやりたい!と思ったのが、バレーだった。(私は学年でも有数のチビです)
ちょうどその頃、ちゃおでバレー漫画が連載され始め、それに影響された。仲のよかった友達と夢中になっていたっけ。調べたら『スパーク!!ララナギはりけ〜ん』という作品だった。その頃憧れた、私のイメージの全日本は柳本ジャパン。吉原さんがキャプテンで、竹下さんがセッター。成田さんがリベロ。そして栗原恵さんや大山加奈さんや木村沙織さんがちょうど全日本に出てきた頃。そんな竹下さん、今回は解説をなさっていた。もう20年前か…。その頃は、トスやレシーブのやり方をちゃんと覚えたくて、バレーをやってる友達にアンダーハンドパスの手ほどきをしてもらったりもした。大山加奈さんが表紙のバレーやろうよ!的な本を買ってトスのあげ方やスパイクのコースのことを勉強もしていた。が、基本的には大柄な選手たちから繰り出されるダイナミックなスパイク、があまりにもカッコよくて見とれていただけなのでテクニカルなことはサッパリ。わかるのはブロードだけ。アレかっこよくない??笑
そんな私、今回の五輪もいちいち父がスパイクのコースをいうのでポカーンとしながら聞いていた。私の中でもう終わった今回のパリ五輪唯一の収穫はポーランドには2mのアタッカーが2人いる、ということのみ。143cmの私におふたりから、10センチずつ分けてもらえないかしらね。そしたら私、ようやっと160cm超えなんだけど。(それでもCanCamやViViのモデルには応募できませんが笑)

この暑いオリンピックイヤーにふと思い出したのは、それこそ柳本ジャパンを楽しみに見ていた、アテネ五輪。いつしかバレー熱は冷め、それ以降のオリンピックはそんなに真剣に見てないのです。小学4年生の夏。母は当時フルタイムワーカーで、弟は保育園児。私は一人留守番。出さなかった宿題は特になかったと思うけど、朝から晩までアニマックスを見つつ、五つ子を見つつ、時々宿題を挟んで、様子を見に来る祖父をアゴで使い、好き勝手に過ごしていた。月9は『東京湾景』という仲間由紀恵さんのドラマでそれも楽しみに見ていた。あれでチマチョゴリを覚えたっけ。呑気に毎日楽しんでいたら、父にこの年の夏休み「自堕落に毎日好き勝手しやがって、お前は一生そうしてろ」とブチギレられた。けど、親の目のない小学生の夏休みなんてそんなものだろうと29の今なら思う。しかし、さして勤勉でもない父にあれほどキレられた 私って一体…
はいいとして、中学になって部活を始めると、夏休みの様相は一変する。友だちとプールに行ったり、テレビばっかりを見ていられる夏は意外と短い。あののんびりした楽しい夏がもう戻ってこないことは、大人になって見つけた夏の楽しみもあるのになぜだか少し寂しい気がする。ちなみに大人になってからの夏の楽しみは、知人ご夫妻主催で仲間内で行く東京湾納涼船とその後の二次会の居酒屋飲み。基本的に過去を懐かしむことはあっても、戻りてぇ〜とは思わないんだけど友だちとプールに行き、好き放題テレビを見ていた夏には、かなり戻りたい。