大学のこと。

学生時代の思い出ではなく、学歴について普段感じていることを。うちの両親は、そこそこの難関私大のとあるサークルで出会い結婚した。(私はちなみにその大学に、見事に落ちました。)
わりかし卒業生の愛校心も強い校風で、小学生の時、ホームカミングデーに連れて行かれたこともある。だから私は子供の頃、自分もこの大学に通うと信じて疑っていなかった。高校の時もオープンキャンパスに行って、入れるように頑張ろう!と思っていた。どんだけ狭い世界でモノを見て、そして現実が客観視できていなかったんでしょう…。そんな我が家、父はかなりの学歴偏重主義者である。母も、父のように表立っては言わないけれどそういうところがある。父は、今思うととんでもないことを子どもの前で口走っていた。そのせいで私は子どもの頃、青山や立教に入ることは、そんなに難しくないと思っていた。つくづく酷い。いまは、MARCHのレベル感も理解したし、父の物差しの狭さも身に染みている。(私が出ているのは受験用語でいうとMARCHより下の群の大学です。)父は未だに、口を開けば大学の序列の話をするようなところがある。人生の幅の何たる狭いこと。

そんな環境で育った私は、私は知らず知らずに父の学歴偏重主義をインストールしてしまっているところがある。父の物差しが狭いことはわかっちゃーいるのに、毒されている自分に、時々ゾッとする。面白いな、と思うのは同じようなことを言われて育った7つ下の弟は、あっけらかんと「大学に行くのは世の中の半分だよ、パパはどれだけ狭い物差しで言ってるのか」と父の言説を論破するところだ。彼は、小学生の頃から同じぐらいの年齢の子が中学受験をするために塾通いをしているのをみて、抵抗を感じていたらしい。幼いうちから、しっかり父を反面教師にし、自分の頭でものを考える事が出来ていたのですね。

今の私は「学歴なんて関係ない」と言う意見に、わかる部分もありつつ、父に毒されて100パーセント同意できなかったりもする。
ひとつ感じるのは、「学歴なんて関係ない」みたいなことを言う人は得てして高学歴だということ。そして「すごいなぁ〜」と誰かのインタビューなどを読んで思うと、その方は難関大学を出ていたりする。それでますます「学歴なんて関係ない」は、しょせん強者のセオリーだろ、と思う時がある。たとえば私の大好きな「ふぞろいの林檎たち」を生み出した山田太一さんは早稲田のご出身。ここから先が大事なのだが、だからといって、あのドラマをみて「そうは言いつつ山田太一は早稲田じゃん」とは全く思わない。あのドラマのラストは主人公たちが就活の際、有名大学の学生だけ別室、という扱いに憤りながら「大事なのは胸を張っていきること」というシーンだ。いかに山田さんが他者(しかも自分の子供と同じぐらいの)への想像力があるか。そしてこれは、今の世の中にとっても、ものすごく大きな「問いかけ」だと思う。
そう、きっと大事なのはどんな学校を出てもその後の人生を誇りを持って生きること。その境地に行ければ、心から「学歴なんて関係ない」と思えるようになるかもしれない。
まずは研鑽を積むこと、か。