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これからもずっとこれからも

ちょうど1週間ぐらい前だろうか。ほんの少し
心臓がキュッとなるニュースに出くわしてしまった。亀梨和也がKAT-TUN脱退→退所(→結婚)か?という週刊誌の記事である。公式発表が出るまでは…という声も散見されたが、週刊誌先行で何かを知ってしまうことはよくある。今さら大きなショックを受けることもないが、KAT-TUNがなくなるかも、という覚悟を少し決めて久しぶりにKAT-TUNのベストを聴いたりなどしていた。

亀梨はYouTubeを始めて以降、度々「個人としての亀梨和也」に言及していた。退所を選んでも(みな実大先生とご結婚をされても笑)何ら不思議はない。個を打ち出すことは、むしろここまで彼が、いかにグループのために腐心してきたかの証左であろう。この決断は、長年見てきたファンなら、寂しさの中にも納得感があるのではないか。KAT-TUNの看板を下ろしたあとも、彼らの未来が幸せなものであってほしいと切に願う。

来月30になる私が、小4の終わりに仲良しだったAちゃんに「KAT-TUNの亀梨くんと赤西くん、カッコよくない??」と言われたのはちょうど20年前のこの時期こと。転校直前だったこともあり、よく覚えている。春休みにAちゃんと遊んだとき「赤西くんは、この次のクールもドラマに出るんだよ!」と「anego」が話題にのぼったことも記憶している。その後転校先で仲良くなった友達が、新居のめちゃくちゃ近くに住んでいることがわかった。その子もKAT-TUNが好きで、遊びに行く度にミニコンポで「Real Face」のシングルをかけてくれた。なので私は「GLORIA」と「Will be alright」を今でもソラで歌える。そして中学生になり、再び転校した。うまく馴染めず、辛くてどうしようもなかった時に、人生の伴走者だったのもKAT-TUNだった。その後またまた、仲良くなった友達が亀梨くんが好きで、意気投合した。中3の時には、俗に言う「惑星魂」に参戦し、高1は「N.M.P」そして高3の夏には「CHAIN」に参戦した。ネットの世界でも、四六時中ブログに入り浸り、KAT-TUN好きな方と交流を深めていた。私の中高時代はKAT-TUNと共にあり、なのだ。赤西がいた頃はいちばん赤西が好きだったのだが、亀梨も好きなので「仁亀厨」と言うやつ。「ごく出の仁亀の亡霊」なのである。

20代になり、いつしかレギュラー番組を見たり、雑誌を追ったりという熱心さはなくなっても、つい何かでみるとKAT-TUNや亀梨や赤西のことは目で追ってしまう日々だった。正直に言うと、歳を重ねてからは、KAT-TUNを聴いたり見たりすると、その頃があまりにリアルに蘇るので、普段は意識してあまり聞かないようにしていた。「あまちゃん」で春子さんが「田舎には一番ダサかったころの自分がいる」というようなことを言っていたがまさにそれだ。昔の自分を見ざるを得ないのである。春子さんと違い、その頃と感覚的には地続きを生きる今も、私はダサいまま。このことにハッと昨夜気づいた。そして、どこかの部族のバンジージャンプや一晩穴に入るイニシエーションを思い出した。イニシエーションを経るには年齢的に遅すぎるが(あーいうのって15とかでやるもんね)KAT-TUNが好きだったころの私は、KAT-TUNと共に生まれ変わらなければならない。
過去をしっかり受け止めて(バランスがむずいけど) 、新たな人生を生きる時が来たのだ。わたしも、亀梨くんも。笑
さて、どんな人生にしよう。
ティーンの私のグラグラな人生を支えてくれたKAT-TUNの6人に、大きな感謝を込めて。