反省と伏線

あれは2014年の夏。短大2年生の私は焦っていた。4大への編入を目指し、短大に入ったのに編入の推薦枠をもらうには圧倒的に成績が足りない。おまけに、英語科→メディア系の学部へ進学したかったので、編入先で必要な知識も満足に身につけられてはいなかった。もちろんメディア系の講義は取ったが、専門分野の勉強としては当然、足りない。そして肝心の英語もTOEIC670点と、世の大学生の平均からすれば低くはないが…という程度。編入に不可欠な小論文を書くのに必要な知識もなければ、文章力も壊滅的、という状況だった。
ゼミの先生がアメリカ人だったので、何人かの日本人の先生に志望理由書を見てもらったり、
小論文を見てもらったりもした。
入試の時面接官をしてくれた先生(言語学者の先生だった)には「Miiさん、、あーた、もう1年編入のための勉強する?それはないよね?」と怒られた。もう一件アポを取った穏やかで優しい哲学者の先生は怒るというより、私のダメっぷりにニヤニヤしていた。その先生の研究室には「百万回生きたねこ」がおいてあり「わー、哲学者の部屋っぽ!!!」と思ったこともよく覚えている。今書いていて思ったが、うちの短大は英語科なので、言語学者や英文学者の先生はワンサカいたがメディアや社会学の先生はいない。もともと、相当ちゃんと戦略を練らなければならない挑戦だったのである。

さて、秋も深まりいよいよ試験。
目指していたのは四ツ谷のかの大学の新聞学科。町田のはずれの某私大のメディア系の学科、そして江古田の放送学科も受けた。
四ツ谷では小論文の前の漢字のあまりの不出来に「漢字は勉強しましたか?」と聞かれ玉砕。町田は、面接前のペーパーテストで不合格で途中でお帰りください、となった。
江古田では「普段は何のテレビを見ますか?」とダンディーな先生に聞かれ「めざましテレビを見ますぅ〜」と答えた。 
その前に当時ハマっていた「ごめんね青春!」の話をひたすらして、それ以外を言え、と言う時に繰り出したのがまさかのめざまし…。
まぁ、宮藤脚本の魅力は、しっかりと答えた。
女の先生がニコニコ聞いてくれた。
「宮藤官九郎はしってる?」
「はい、あまちゃんとか好きです」
(サラッと見ただけ)
王様のブランチに「ごめんね青春!」の最終回前宣伝で、満島ひかりと錦戸亮が出ているのを見ながら江古田の結果を待ち、全落ちが確定。
私は今でもSUPER EIGHT の「言ったじゃないか」を聞くとこの時の絶望を思い出す。
泣きつつ、母にランチに連れ出され
ファミレスで「反省はないのか、泣く前にできることがいくらでもあっただろ」と詰められる。泣き止むと母は「来年も編入のためにトライすれば?新しい大学で友達も作ってさー。」と言ってくれた。かくして、わたしは短大卒業後、来秋の編入試験を受ける機会を得たのであった。

ゴールデンウィーク明けから、編入試験に向け、文章力を鍛えるため、編入試験にも対応している塾に通わせてもらった。試験日が詳らかになると、江古田と四ツ谷の試験日が被っていることが判明した。江古田を選び、塾もエッセイ的な文章を書くことに特化した授業を組んでくれた。ダメだった場合の保険の専門学校にもしっかり合格をもらい、いざ本番を迎えた。受験者数が前年より多くて焦る。
だが、エッセイのお題も去年より書きやすい題で小さくガッツポーズ!去年よりはワンチャンあるかも。
面接では男女七人が好きだという私に
「あーいう昔っぽいのが作りたい?」という先生。
「いえ、あれはあれで面白いんですが
今の時代に合わせた視聴者に楽しんでもらえるものを作りたいです(キリッ」前の年のめざましテレビよりはまともな受け答えができた。
ソワソワしながら結果を待つこと数日。
色々な巡り合わせで、1回目の面接で宮藤脚本の話をニコニコ聞いてくれた綺麗な先生のゼミに所属し、隣りにいたダンディーな先生(元アナウンサー)には就活の志望理由書を見てもらい、発破をかけられるのであった…。
いま、何もなし得ていないがテレビ業界の隅っこで仕事をしているのも、この時の挑戦があってこそ。あの時、挑戦させてくれた両親の懐の深さも、忘れずに心に携えていなければならない。
(よく忘れるけど…)


#挑戦してよかった