子を持たず知る親の恩

前も書いたけれど私は現在、絶賛結婚適齢期。
友達は続々結婚し、ママになる子もちらほら。
私にはそんな兆しは1ミリもない。
この事は、ひとまず置いておこう。
きっと、コンプレックスを持つようなことでもないはず。浅野ゆう子さんのように、還暦間近婚を目指す身としては(確率だいぶ下がるぞ…笑)いますぐ、どうこうということはない。
ご縁があれば、いつか。

「ご縁があればいつか」と、のんびりしたことを言っている(否、自分に言い聞かせている) 
結婚に縁遠い私でも、仲のいい友人が続々ママになっているので、なんとなく子育ての大変さには気づきつつある。Xでもこの手の話題は、何故か私のタイムラインに上がってくる。
深層心理でよっぽど子供が欲しかったりして…(笑)よく会う友人にも、3歳と1歳の子どもがいる。この前も、その友人ファミリーとご飯を食べに行ってきた。3歳の息子くんが、座敷を動き回っているのを「◯◯、(座敷の高くなっているところから床に)落ちないでよ?」とか「ご飯きたからこっち来な!」(私はパパさんの隣で、向かいの私の友人の隣には1歳の娘ちゃんがいる)とか言いつつ、楽しみながらお節介を焼いていた。友達夫婦が、上の子と下の子の対応に追われる中、私は気まぐれに世話を焼き、ゆったりご飯を食べていた。当たり前だが、親ではない私の世話焼きなど、いいとこ取りなのだ。だからこそ楽しい。これを毎日自分の責任下でやるのは、相当大変なはず。

私は弟と7学年離れているので、弟がこんな風に落ち着かなかったときのことも記憶はしている。うちは父が全く育児に協力的ではなかったので、母は大変だったはずだ。スーパーやデパートで手を振り切る弟を慌てて追っていたことを覚えている。あくまでこの時に責任を持って対応するのは母。私はこの時すら、自分はフラフラ見たいものを見ていたか、追いかけついでに、一緒に面白がって走っていた気がする。(コラ) 
大人になって、母が尋常ではない責任を負っていたことに気づく。公共の場では、何よりも子の安全確保をしなくてはならないし、特に今は、子供に好意的な大人ばかりではない。それを鑑みると、なおのことプレッシャーではないだろうか。

自分が親になっていてもとっくにおかしくない年齢になり、やっと母がどういう苦労をしてしたのか、その一端がわかった。あくまで一端、である。公共の場は、些末なワンシーンに過ぎない。とにかくこの世界で、子供をある程度の年齢になるまで育て上げる、というミッションの重さに、世の親御さんを尊敬するばかりだ。
私が親になることは、高い確率でないけれども
この事に気づいたことは大きな収穫だった。
両親との関係は、一筋縄では行かない人生だったので、つい母(と父) がどれだけの想いで私たち姉弟を育ててくれたか、ということは忘れそうになってしまう。まず、そこと向き合うことは、ひとつの私の人生の大きな課題である。子が出来たら、どれだけ親への恩が湧いてくるのかは想像できる。けれど、子がいなくても想像できる範囲で、親がしてくれたことを忘れてはダメだ、と思ったお話でした。