20代のうちに。
先日、友人と話していて「うっすらMiiはコミュ障だと思っていたが、やはり…」と言われてしまった。その場に居たもう一人の友人が、10代の頃の私がいかに人見知りで対人関係を紡ぐのが下手だったかを言い始めたからである。彼女は、初対面のときの私があまりにも感じが悪かったのでもう二度と会わない、と思ったらしい。転校が多かったせいもあるのか、とにかく初対面の人には緊張し、全力で身構えてしまう。だからといって、感じが悪いと思われるほどの人見知りは問題だ。20代ラストイヤー、30代に向けての課題はコミュ力。こんなことを書くのは情けないが、ここまで来てしまったものは仕方ない。大切なのは、今後の努力。
そんな私は、あろう事か大勢の人と接するテレビ業界の片隅で仕事をしている。かつては、ADをしていた。始めましてのディレクターさんや、カメラマンさん、音声さんやドライバーさんと、ロケに行くことは日常茶飯事だ。緊張や、怯む心がなかったかといえば嘘になる。が、頑張らなければおまんまの食い上げである。なので私なりに一応、必死に喰らいついてはいたつもりだ。まぁ多少は頑張ったが、何よりも技術のおじさま方はペーペーの私にも親切でとても優しかった。振り返れば、それに助けられていた部分がだいぶある。下手なりに何とかやってきたつもりではあるが、間近で私を見ていた上司にハッキリと「あーた、この仕事に向いてない」と言われたこともある。それでもしがみついているのは、目指すもののため。そしてテレビの世界でしか得られないやり甲斐も、ある。ついでにそこまでケチョンケチョンに言われると、いつか半沢直樹のように逆襲したいという気持ちも湧いてくるというもの。というわけで、全力で自分を変えなければいけないフェーズに差し掛かっている。
社会人になってから様々な方と出会ってきた。その中で一番印象に残っているのは、私が先輩から嫌味を言われていたときに、後から「聞こえちゃったんだけど…」とフォローしてくださった取引先の方だ。その温かな心遣いが有り難く、今でもその方には感謝している。その方は私の両親よりも年上で、大人として踏んできた場数も相当のものだろう。場数を踏んだゆえにつく
コミュニケーション力もあるだろうが、根底にあるのは人間力ではないか。特にテレビ業界は、人間力がものをいう業界だ。多くの人の心を動かしたり、実りある問題提起をするには作り手の(制作に携わる個々人の)社会や人間との向き合い方が、もろに問われる。ちなみに、最近私が感銘を受けたのは「不適切にもほどがある!」だ。まさに、宮藤官九郎と磯山晶の社会への実りある問題提起と、人間への温かな眼差しの結晶があの作品なのだと思う。特に最終回の渚と、イザコザのあった後輩の最後のシーンにそれを強く感じた。現実の私なら渚の立場でも、後輩の立場でも絶対に目も合わせない。今はそんな事を言っているが、私も何年後かに人や社会に対して厚みのある問いかけや、温かな眼差しを送る作品を世の中に送り出せるよう、自分を磨き続けなくてはならない。