きっと大丈夫

最近、仕事で大きなミスが発覚した。
取引先から指摘のメールが来て、真っ青になった私は、まずチームの同僚と確認した。そしてやっぱり私がミスっていたことがわかり、部長に謝罪に行った。部長もカバーしてくれた同僚も、大丈夫だよー!と、とても優しく、冷静さを取り戻した。部長は、怒るどころか仕組みの改善を提案してくれて、とてもありがたく感じた。

生育環境よりも、私が生まれ持った気質(多分に父譲り…トホホ)だと思うが私は不安が強い。こういう事があると「ギャァァァ、、やっちゃった!どうしよう、もう無理…(私なんて)」と真っ先に思う。し、今はしがない派遣社員なので「クビになるかもっ…」と心は大パニック。
つくづく認知が歪んでいるし生きづらい性格だ。「どうしようッッ」という心理状況には、なるべく陥りたくない。そうならないために、細かいミスなどで仕事で不安を抱えきれなくなった時、状況を家族には時々話す。言い訳がましい、とよく言われる。(当たり前だ。)私は、怒られたくないと言うより、パニックを回避したいのだが「私は悪くないから、怒られたくない」という人間に見えてしまう。そう見えることも、わかる程度の客観性は持ち合わせている。が、良いことでは全く無い。今回、部長が仕組みの改善を提案してくれたことは、内心大パニックになる私のなかで、パラダイムシフトというか、大きな学びとなった。次に繋げるために、ソリューションを落ち着いて考えればいいんですね。(これが29歳の気づきか😮‍💨😮‍💨)

では、なぜ自分がそういう時に、冷静になれないか、考えてみる。振り返ってみれば、昔から
何かやらかすと、本当にどうして良いかわからなくなっていた。許してもらえる自信がなくて、余計にとんでもない事をした!!と勝手に思ってしまう。幼い頃からの思考の癖だ。(文字通りのパニックは起こさないけれど、打ちひしがれてはいた。)元来、気持ちの切り替えが下手なのもある。もうひとつ、私が一つ思い当たるのは、生きる上で、絶対的な安心感のようなものを得てこなかったからかもしれない。

社会人になってから、今回よりも、もっと大きいミスも経験してきた。そのたびに、めちゃくちゃうろたえてきたし、厳しいことを言われても来た。(6年も働いてるからね)  
今回部長が冷静に話をしてくれた時に、ほとんど初めて「あ、大げさにパニックにならなくて、大丈夫」と思えたのだ。何かあった時に、ここまで具体的に解決案を即座に出してくれる人には会ったことがなかった。冷静に建設的な話をしてもらったことで、安心感を得たのだろうか。この先も、人間だから仕事先でミスはやらかすだろう。こうやって一歩ずつ、確認しつつ着実にやっていって、何かが起きたら冷静にアフターケアをすれば良いのだ。こんなに、当たり前のことで、自分の心をコンディショニングするのに、6年もかかってしまった。さて、人生改善しなくてはならないことは山積みだが、生きていこう…。