突発的ユーミン考。
今回は、ユーミンのこと。色んなことを書いていきたいのですが、ハンドル急旋回…でしょうか。まぁ、お付き合いください。最近、新アルバムのプロモーションで、竹内まりやさんをテレビで拝見したけれど、私は断然ユーミン派。
「私とユーミン」をこの機会に言葉にしてみよう。
特に母の嗜好で、サザンのアルバムとユーミンのアルバムが交互に流れるカーステで育った私。サザンは「すいか」というベストアルバムが、ユーミンは1998年に出た「Neue Musik」というベストアルバムが私の幼き頃の車内BGMでした。(当時、新譜だったんだなぁ)
ユーミンもサザンも、かなり人生の初期段階で
有名曲に触れていたことになる。後に振り返ると、どちらのアルバムもベストだけあって、有名曲揃い。この頃の私のユーミンの印象といえば「声がオバチャンっぽい人」ということのみ。あとから思えば、ダイヤモンドダストや、ブリザード、つむじ風、などなどユーミンの歌詞世界から知った言葉は幾つかある。そして小学校の3〜4年生ぐらいのころ、ユーミンが他のアーティストに、提供した曲ばかりのアルバムを母が買った。それで彼女は「呉田軽穂」という名前で他のアーティストに曲を書いていることを知る。母に女優のグレタ・ガルボが元ネタということも教わった。(そのアルバムには松本隆さんが作詞されている曲もたくさんあり、後に松田聖子さん沼に落ちるのも必然だったのかもしれない…笑)とにかく、呉田軽穂作品も含め、子供の頃から深い意味も考えずにユーミンの音楽に触れていた。
そんな私が、ユーミンのことを次に意識したのはティーンのとき。大好きな重松清さんの「あの歌が聞こえる」という小説にユーミンが出てきたのだ。たしか「悲しいほどお天気」という
アルバムが出てくる。主人公の少年がちょっと年上の家庭教師のお姉さんからユーミンを教わるのだ。曲としては幼い頃から慣れ親しんだ「DESTINY」が出てきて嬉しかったっけ。そして「緑の町に舞い降りて」にはこの小説で出会った。「あの歌が聞こえる」においてユーミンは「高校生男子が背伸びをして触れても追いつけない、大人の女の人の世界」という位置づけで描かれている。わたしは、あまりにも幼い頃からユーミンに触れていたので、この位置づけにあまりピンと来なかった。そうか、(80年代の)男子高校生にはこう見えるのね!という新鮮な発見があった。それから数年後、ベストアルバムの「日本の恋と、ユーミンと」を母にプレゼントし、車でずっと聴いていた。そこで初めて知った曲もたくさんある。同じ時期に、酒井順子さんの「ユーミンの罪」というエッセイを読み、また知らない曲を知った。とても興味深く「ユーミンの罪」を読んだ。しかし、95年生まれの私が、ユーミンの音楽が時代の中でどう受け止められていたかを知ることは後付けに過ぎない。同時代性、というものが全くないからだ。例えば、彼氏と「中央フリーウェイ」を聴きながらドライブしたり(してみたい。かなり)「海を見ていた午後」を聴いて山手のドルフィンに行ったりは、残念ながらしていない。(聖地ですよね)あ、女友達とつるむ楽しさは知り尽くしているから「ガールフレンズ」はちょっと現実味があるかも。
「日本の恋と、ユーミンと」という言葉がベストアルバムのタイトルになるぐらい、彼女の音楽は時代の中で、日本人の恋愛に影響を及ぼしてきたのだろうと思う。だが私にとっては、自分の生きる現実とは切り離された煌びやかな夢の世界、である。だからこそ聴いていて楽しいし、元気が出る。そんな今の私の密かな夢は「具体的に好きな誰かを想いながらユーミンの曲を聴くこと」である。好きな人がいない状況で聴いてこれだけ心がときめくのだ。彼氏(ってか好きな人)がいる状態で、あの何パターンもの恋愛を疑似体験したら、どれほど心が浮き立つのだろうか。
ちょっと、経験してみたいものである。