「終りに見た街」のこと

先週土曜日に「終りに見た街」が放送された。大好きな山田太一さん原作に、クドカンが脚本という事態にもう解禁になったときから
ワクワクしてしまった。
もちろん、どういうお話かはうっすら分かりつつも「宮藤官九郎脚本」にどうしても
戦争物を見る厳かで不安な気持ちより
楽しみが先に立ってしまったのである。
冒頭現代パートの、勝地涼さん演じるPのキャラ造形も本当に面白かった。
(これは彼らがタイムスリップしてからも、大オチでも関係ありましたね。)
昭和19年にタイムスリップしてからの
「ポツンと一軒家」や「はま寿司のカリカリポテト」にもついつい笑ってしまう。
なんとなく穏やかに見進めて行くうちにレオの死や、3/10の東京大空襲でだんだん不穏な気持ちになる。そしてラストは、とてつもない衝撃を受ける。安易かもしれないが、あのラストはまさに「タイトル回収」でもあるのだろう。

山田太一さんや、倉本聰さんが活躍された70年代〜80年代は終戦から40年前後。
その当時の大人は、皆さん戦中を知っている。今回脚本を書かれた宮藤官九郎さんとは
ちょうど10個ぐらい違うが、西日本で育った重松清さんの小説にも、父親に原爆資料館に連れられたり、夏休みの読書感想文で「はだしのゲン」はマンガだが題材的にOKと先生に言われる描写がある。重松さんは、ちょうどうちの両親と同世代。いま50〜還暦前後の人たちが子どもだった頃の日本には確実に戦争の名残りがあった。私が小学生だった20年ぐらい前だって、夏に終戦記念ドラマをやっていた。
(私は朝ドラで、空襲のシーンがあるとリビングから逃亡する程度には太平洋戦争のドラマやドキュメンタリーが、苦手です。今も眠れなくなるので、夜には見ないようにしている)この先、戦争をどうメディアを通じて伝えていくかは、本当に大きな課題となる。

NHKを除き、終戦記念ドラマも作られなくなる中、今回このドラマが制作されたことは意義深い。宮藤の脚本のコミカルさと、この物語の本質である戦争の悲惨さの両方が、しっかり視聴者に伝わったはずだ。「終りに見た街」の読後感(視聴後感?)は、長崎で被爆者のおばあちゃまのお話を聞いた時と、とても似ていた。戦争で全てが破壊し尽くされ、日常が失われる絶望はどんなものでも癒やすことは出来ない。
私はそう感じた。この絶望をしっかりと心に刻むことが、特に物語を通じて戦争を見る意義だ。ちなみに、小5のとき、親友に勧められた「ガラスのうさぎ」が私が人生で最初に能動的に触れた太平洋戦争が出てくるお話。敏子の絶望も読んでからずっと、私の頭の中にある。是非、未読の方は手にとってみて頂きたい。日本人にとっては、例えば朝ドラを通じ、先の大戦が身近かもしれない。同時に広く世界に目を向け、ウクライナやガザのことを知ろうとすることも、私は怠りがちだけど大事。世界に心を寄せ、そして戦争が起こったときにどうなるかをしっかり学ぶ。特に戦後生まれで、戦争が起きたときにどうなるのかなかなかピンと来づらい世代には必要なことである。私個人の課題でいうと、基礎的な教養をさらに培うことから始めなければならない。
道は遠いぞ…。