人生最大級の悲しみ

今年、近所に住んでいた大正生まれの母方の祖父が亡くなった。98になる、ほんの1週間前というタイミングであった。母は私を産んだ30年前「両親はこの子が、成人する頃にはこの世にいないだろう」と思っていたそうだ。(祖母は祖父の3つ下です)10年前、振袖で祖父母と写真を撮れて、本当に良かった。
初孫の私は、成人どころか30に手が届かんとしているし、7つ下の弟も最近23になった。
そこまで孫の成長を見守れる、というのも
とても幸せなことだろう。母方の祖母はまだまだ元気で、当分お迎えは来なさそうだ。とにかく母方の祖父母は長寿で、アッパレなのである。

母方祖父母があまりに長生きなのと、父方の曾祖母も並外れた長生きだったので(100歳になる1ヶ月前に亡くなった)私は人間は90までは生きられるものだと、勝手に思っている。
有名人の訃報を耳にすると、大概が祖父母より若いので、ずいぶん皆さん若くしてお亡くなりになった気がしてしまう。西田敏行さんもまだ76なのに、と思ってしまった。冷静に考えれば随分見積もりが甘い。ちなみに、曾祖母は長生きだったがその長男の父方の祖父は膵臓がんで50代で亡くなっている。寿命というのは、当たり前だが随分、個体差があるのだ。
まもなく30になる私は、70で死ぬとしたってまだ残り時間のほうが長い。焦るこたー無い、というのが、私のラフで雑な人生観である。
(70で死ぬなら意外とすぐ折り返しがきてしまう) 

祖父が亡くなったこともあり、今年はいつもより余計に、自分の人生をどう構築するか考えている。そんな折、親友からお母さまが亡くなったと連絡が来た。共通の友人に知らせながら「自分の親も、っていう想定をする年齢に私たちもなったんだね」と話していた。
まだ経験していないが、祖父母の死と親の死は決定的に違うはずだ。どういう気持ちになるのか、正直想像もつかない。亡くなった友人のお母様は、母と同い年だったことが話をしていて分かった。そのとき、母との別れが急にクリアになってきた気がした。先延ばしにしたい訳では無いが、思わず母に「元気でいてな…」と言ってしまった。(私に元気でいろ、というよりその友達の気持ちを想像したり、お母様のことを考えるのが先では?とツッコまれてしまった…。その通りである)
私はいざその時が来たら粛々と対処するしか無いのだから、今はせめて一緒にいる時間を慈しんでいたい、と思うだけだ。いくらメンタルの弱い私でも、親の死に取り乱したりはしない。
これは断言しておかなくてはならない。
(取り乱したら恥ずかしいからね)

昔、林真理子さんのエッセイを読んでいたら
パートナーを作る動機として「親の死という人生最大級の悲しみに一人で向き合うより、
その時隣に誰かがいてほしい」というようなことが書いてあった。自分にその視点はなかった。なるほど、そういう時にちゃんと真摯に寄り添ってくれるパートナーであれば、林さんのおっしゃる通り必要かもしれない。真摯に向き合ってくれるタイプのパートナーなら是非欲しい。この先の人生を一人で生きていく覚悟を決めなきゃならん、という気持ちと「パートナー欲しいかもっ…っていやどこで見つけるんだよ」という気持ちの揺れは、収まるだろうか。
まず目の前のことを懸命にこなそう。